私は通勤のため毎朝電車を利用している。満員の車内をふと見渡してみると、あちらもスマホ、こちらもスマホ、気が付けば自分の肩が誰かのスマホ置きになっている。かくいう私もメールやSNSチェックに車内の時間を利用する。

 そこでふと思う。いつからこの光景になったのだろう? 思い返してみても「いつの間にか」という印象しかない。しかし平成の初め頃の電車内は、新聞か文庫本を読んでいる人が多かったような気がする。どちらがいいとか悪いとかではない。時代の変化だ。

 となると、逆に平成の間にいつの間にか電車や駅から消えていった風景があるはずだ。「便利になった」と言えばそれまでだが、この平成30年間に我々は何を失ってしまったのか。東京の鉄道から消えたものを思い出してみたい。

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「駅の伝言板」はありがたい存在だった

 まず駅の改札口を見渡してみる。平成の初めはポケベルが浸透し始めた頃とはいえ、まだ多くの駅には「伝言板」が設置されていた。移動中の相手との連絡手段が無かった時代には「うまく待ち合わせできるかどうか」は一大事で、万が一相手と出会えなかった時には「先に行く」等のメッセージを残せる伝言板はありがたい存在だった。

駅の伝言板 ©オギリマサホ

 ところが携帯電話の普及により伝言板の必要性は格段に減少する。平成8(1996)年には既に、本来の使われ方がなされず落書きが増加したことにより、鉄道各社が伝言板撤去を進めていることが伝えられた(注1)。

 平成22(2010)年にもなるとJR東日本の東京本社管轄のうち、伝言板が残るのは阿佐ヶ谷駅と北柏駅の2駅のみというピート小林氏の調査があるが(注2)、2018年12月現在現地で確認してみたところ、両駅とも既に撤去されていた。

 改札口を通る。平成初めの東京近辺の駅には駅員さんがチャンチキチャンチキと一定のリズムを刻んで「入鋏」を行う改札が多く残されていた。私は中学時代「駅員さんの鋏さばきがかっこいい、将来は改札の駅員さんになりたい」と言い続けていたところ、ある日学校の先生から鉄道学校の入学案内をそっと渡されたこともある。結局鉄道学校には入らず改札の駅員さんにもなれなかったが、S先生お元気だろうか。