Q SNSが苦手です......。
ほしさんのインスタグラムをよく見ています。ほしさんの、ちょっと笑える視点や日常が垣間見えて大好きです。
一方、わたしはSNSを上手にできません。見るのも書くのも苦手でして......。
まず見るほうですが、どこに行って何を食べたとか、今日は空がきれいだからがんばろうとか、子どもがおもしろい顔をしたとか、SNSはほんとにどうでもいいことだらけです。そして書くほうも、自分が何を食べただなんて、世の中の人にとってはどうでもいいだろうなと思ってしまい書き込めません。
だったらやらなければいいじゃないかと、自分に対して思うのですが、それもまた、世間から取り残されてるような気がしていやなのです(自意識過剰なうえに、わがままですみません)。
そこで質問です。ちょうどよい感じでSNSをやるにはどうすればいいでしょうか。
世間から取り残されない程度に、かといって他人からそれほど「どうでもいい話だな」と思われない程度に、ちょうどよくSNSをやりたいのです。わたしから見て、ちょうどよい湯加減でインスタをやっているほしさんに、気をつけてることなど、ちょうどよいアドバイスをいただけたら幸いです。(34歳 女性 営業)
A 本当になんなんでしょうね、SNSって。
本当になんなんでしょうね、SNSって。と思って、Googleで「SNS」を検索しようとしたところ「SNS」という言葉を打ち込んだだけで、検索候補に「SNSとは」の次に「SNS 疲れ」が出てきました。SNSに疲れている人が多いようです。あなたがおっしゃるように、SNSはどうでもいいことだらけです。それもインスタグラムやフェイスブックは画像がじゃんじゃかじゃんじゃか流れてくるので、見たくもないものを見せられている気になって疲れちゃって、まあじゃあ見なけりゃいいのに、あると見ちゃうし、見ると気になるし、見てないと友達と話が合わないかも?というところでしょうか。
私がインスタグラムがなんか楽しいなと思うのは、子どもの頃からやっていた落書きに似ているところです。私の場合。教科書の歴史上の人物に髪の毛を増やしてみたり、挿絵に人物や背景を書き足したり、ふきだしをつけて台詞を考えたりすることが大好きでした。教室に貼られているポスターや張り紙にもそのようなことを施したり、テストの答案用紙にも時間があると小さなスケッチをしてよく叱られたものです。しかし、その中でも面白いものや良く描けているものに関してはクラスのみんなが楽しんでくれ、先生もちょっと褒めてくれたものだから、それは社会人になっても続きました。自分が描いた物や、見つけたものを他の誰かが見てちょっと喜んだり、おもしろがったりしているのを眺めるのが好きなんだと思います。
まあでもあなたがおっしゃるように、まったくもってどうでもいいことです。
まわりではSNSに参加している人が多く、何かの集まりや会食になるとみんなスマートフォンで食事の写真を撮りまくるという光景が最近では当たり前になってきました。しかしそんな中でも写真を撮ることはおろか、スマートフォンを一切取り出さず、涼しい顔をしてその場を楽しんでいる人がたまにいるものです。そういう人はなんだかとてもスマートでお行儀がよく見えます。そしてそういう人が世間から取り残されているかどうかというと、そのような不安は一切感じさせられないようです。「取り残してくれてけっこう」といったところでしょうか。かえって世間というものと程よい距離が取れてよさそうです。
しかしあなたの文面ではどうもSNSをやめたいわけではなさそうですね。
「どうでもいい話だな」と思われない程度に、とのことですが、それはやめた方が良いと思います。時々、インスタグラムでも「これはちょっと危なくないか?」と思うような露出し過ぎた自撮りを掲載していたり、こんな危険な場所でよく撮影できたものだというような絶景を見たり、恋人とそんな写真を撮り続けてのちのち後悔しないかしらというようなついつい見ちゃう画像があります。文面を読む限りあなたがそのようなタイプの方とも思えないのですが、 SNSでは反応が返ってくる楽しさからどんどん過激になっていく人もいるのでお気をつけください。自分のことを「自意識過剰でわがまま」とおっしゃっていますが、SNSで自分が撮ったものや描いたものを公衆にさらす行為は立派に自意識過剰で、好きなことを好きにやるわがままなことなのはみんな同じなので気にしないでいいと思います。そして本当に嫌になったらやめる、というわがままもちゃんと持ち合わせた方が良いと思います。
私がウエブ上のこのサービスで残念だなと思うのは、情報が古びないことです。確かに内容は何年も前に撮ったものなのに、ネット上では画像のクオリティが落ちることもなく、撮られた当初と同じようにそこに存在します。教科書に書いた落書きは黄ばみ、教室に貼られたポスターは破れて張り替えられ、落書きは薄れ、ということがデジタルの世界にはありません。だからこれらが何年も残り、考え方や目指す物や周りの環境が変わっても存在し続けるなら、他人にとっては「どうでもいい」ぐらいが一番「ちょうど良い」ことだと思います。
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