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14年経って、新聞はどう変わったか?

 これまで自己責任論は2004年が「起点」であると書いた。だが、今回の安田純平さんに対する言説はSNSでは百花繚乱だったが、新聞の論調は冷静だったように思う。

 例えばこの記事。

「『自己責任』独り歩き懸念 ネットで安田さんへ批判次々 経済用語使い方すり替え」(毎日新聞 10月28日)

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 読んでみよう。

 《「<自己責任>とは何か」の著書がある桜井哲夫・東京経済大名誉教授(社会学)によると、1980年代後半のバブル経済時代の規制緩和の中で、リスクのある金融商品に投資する消費者に対し「自己責任が求められる」といった使われ方をした言葉だという》

©︎AFLO

 《「日本で『自己責任』というと、約束とは関係なく一方的に弱者が責任を負わされたり、怒られたりするようになった」と指摘する。/その上で「経済用語にとどまっていたものが、04年の人質事件で社会的・政治的な言葉へとすり替えられ、政治家らの論理で弱い立場の人を批判することに使われた。14年たった今の社会はさらに疲弊し、弱者をたたく傾向が強まっている。ソーシャルメディアで簡単に発信できることが拍車をかけているように思われる」と懸念する》

 なるほど、「2004年の自己責任論」も対象とした冷静な分析だ。

もし安田さんに「自己責任」があるのなら、すべきこと

 さらに今回、産経新聞は社説で次のように書いた。

【主張】安田さん解放 テロに屈してはならない(産経新聞 10月25日)

《危険を承知で現地に足を踏み入れたのだから自己責任であるとし、救出の必要性に疑問をはさむのは誤りである。理由の如何(いかん)を問わず、国は自国民の安全や保護に責任を持つ》

 保守派の産経ですらこう書いた。ちなみに今回読売は社説で安田さんや自己責任論については取り上げていない。今につながる自己責任論は2004年が起点だが、それはSNSがあるから目立つだけなのかもしれない。

 ちなみに私は、安田さんにもし「自己責任」があるなら、この3年間に見た現地の状況や体験を余すところなく報告する責任だと考える。それは私たちの利益になるからだ。

 2004年と2018年の読み比べをしたら、新聞は自己責任論から「自己責任論はなぜ起きるのか」にシフトしていた。

 以上、今回は14年の流れを確認してみました。