「3月で辞めます」
昨年1月8日金曜日、夕刻。勤めていた新聞社のオフィスが入ったビルの、人気のない廊下に置かれたソファに私は腰かけていました。対峙するは直属の上司である支局長。私は出来の悪いドラマのように、「退職願」を差し出しながら、上司に退職の意思を伝えました。
会社を辞めることを決意したのは、退職願を出す3カ月前、2015年10月のことです。
当時、私は記者5年目。一通りの記事は自分で書けるようになり、自分の裁量でできることが増え、仕事を楽しいと感じられるようになった時期でした。同時に、何となく先が見える時期でもあります。私は、自分がいわゆる「特ダネ記者」にはなれないことに気づいていました。
記者を続ける上での気力と体力が、その頃の私にはもう残っていませんでした。泊まり勤務明けのヘロヘロな状態や、携帯電話を片時も手放せない状況がこれからも続くことを思うと、とてもではありませんが、仕事を続ける自信がなかったのです。
転職市場の需要は「20代後半」まで。30代の女性はガクッとニーズが下がるといいます。
かたや私は29歳。「30歳」が目前に迫っていました。春が来ると30歳になる。夜布団に入るたび、「もういくつ寝ると30歳」。そんな焦りが頭から離れなくなりました。30歳になったからと言って、身体の細胞が一夜にして入れ替わるわけではありません。29歳365日。ただそれだけ。しかし、私には彼氏もおらず、結婚の予定もない。金遣いが荒いので、大して貯金もしていません。動くなら、少しでも早く動かなければ。
「キヨシマ、仕事やめるってよ」
思い立ったものの、辞め方がわかりません。
スムーズな辞め方を調べているとき、作家・朝井リョウさんのインタビュー記事(2015年10月23日朝日新聞)に出合いました。朝井さんが、執筆活動に専念するため、勤めていた企業を辞めようとしていたとき、会社で人事部の経験のある父親が、「正月明けの仕事始めの週の金曜日に伝えるのがいい」とアドバイスしてくれたというのです。
理由は、「1年で一番、フワフワしてる時期だから」。
「コレだ!」
私は飛びつきました。求めていた情報ドンピシャです。
結果から言うと、非常にうまくいきました。
支局長は、今後のことを何も決めていない私に呆れながらも、1時間ほど、真摯に仕事への不満を聞いてくれました。
「次の仕事は?」
「決まっていません」
「どうするんや?」
「ちょっと休憩して、それから仕事を探そうと思います」
このときの、アホかコイツは、という視線を私は忘れません。そう、私はアホです。でも、仕事を辞めるという強い意志を持ったアホです。
一度は保留扱いとなりましたが、とっかかりができれば、あとはゴリ押しするだけでした。私は、「疲れたので休みたい」を壊れたレコードのように繰り返して、儀礼的に行われた慰留をかわしました。
「キヨシマ、仕事やめるってよ」。静かに噂は広まり、スムーズに退職への流れができたのです。そうして、2016年4月、私は晴れて無職になりました。
キヨシマの転職活動メモ
一、退職の意思は正月明けの金曜日に伝えるべし
※この連載は、新聞記者として5年働いたキヨシマによる、「脱力系」転職活動記です。書かれていることは全て現在進行形のノンフィクションです。