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2019/03/02

「18 SAITOH」が溢れていたあの時のこと

 そのおよそ1時間前。私はグラウンドの外の仮設テントの前でトラメガを握っていた。ANAセールスのキャンプ見学ツアーの特典である選手と記念撮影が出来るイベントでアナウンスをしていた。やってくる選手は二人。練習メニューや試合の出場などを考慮してイベントの直前に決まる。その日は斎藤佑樹投手と浦野博司投手と発表された。繰り返すが選手は直前に決まる。なので、参加者はそれぞれに思い思いのレプリカユニフォームを着ている。私の見た限り、二人の名前のレプユニを着たファンはいないようだった。自分たちの間におさまり写真撮影を終えていくファンを次々と見送りながら、浦野投手がぽつりとつぶやく。

「吉田率、めっちゃ高いな」

 そう、今年のキャンプ地で圧倒的に多かったのは「18 YOSHIDA」の背中。この時も4人全員で揃えているグループもあった。その「18」を斎藤投手はどんな思いで見ただろう。8年前、同じように「18 SAITOH」が溢れていたあの時のことを思い出しただろうか。それともあの時は渦の中の人だったからそんな光景は覚えていないだろうか。浦野投手のつぶやきに微笑みを変えることなく頷く斎藤投手を見て、そんなことを思った。

8年前は「18 SAITOH」が溢れていた ©文藝春秋

 背番号が変わったのは2016年のシーズン終了後。日本一になったあの年、歓喜の裏で悔しい思いをしていた選手の中に斎藤投手もいた。その年は2度目の未勝利だった。
優勝旅行にも同行せず、直訴したのが背番号の返上。この成績でエースナンバーを付ける資格はないという彼に、球団が提示した番号は陽選手のFAで空き番号となっていた「1」だった。栗山監督は数字が重くなることを許さなかった。覚悟をもってほしいと、これはプレッシャーなんだ、感じてもらわないと困るんだと。

 1番は青いハンカチで汗を拭いていたころと同じ番号。2006年の夏の甲子園決勝、1番をつけた早稲田実業のエース・斎藤投手は北海道・駒大苫小牧の田中将大(現・ヤンキース)投手と伝説の投げ合いを繰り広げた。夏の屋外のイベントで仕事中だった私は、合間で少しでも時間が空くと車に戻りラジオを聴いた。延長15回で決着がつかずに再試合、勝ったのは斎藤投手だった。早稲田大学で自身最高の7勝をあげた2008年秋も1番をつけていた。そしてファイターズでまた1番を背負って今年が3年目。私たちファンの心の中はもう「ハンカチ」も「佑ちゃん」も引き出しのずっと奥だけど、斎藤投手には思い出さなくちゃいけない、戻らなくちゃいけない場所がある。

 私は番組で言い続けてきた。

「斎藤佑樹投手はキラキラした場所が似合うんです」

 もっと言えば、キラキラしていてくれないとおさまりが悪くてなんだか気持ちが悪い。2月、キャンプの実戦では好投を続け、解説者の評価も軒並み高い今シーズンの滑り出し。光ってきた。先発? 中継ぎ? もしかしてオープナー?? 「今年こそ」斎藤佑樹投手がキラキラしているのが見たい。彼に「今年こそ」と声をかけるのはもう最後だ、そう信じてシーズンを迎えよう。その時が来たら大騒ぎする私たちの向こうで、斎藤投手にはクールに笑っていてほしい。きっとそれが一番ちょうどよくて、かっこいい。

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