芥川賞・直木賞の受賞者は、受賞が決まったその瞬間から忙しい。友人や親戚から連絡が殺到し、編集者の挨拶も列をなす。選考結果を待つ緊迫感から解き放たれ、祝福の嵐から一夜明けたその日、受賞者たちは何を思うのでしょうか。『しんせかい』で第156回芥川賞を受賞した山下澄人さんに、文春オンライン単独インタビューを行いました。(インタビュアー:山内宏泰)
――受賞が決まった直後の記者会見、第一声は「やっぱり芥川賞はすごいなあ」というものでした。どのあたりを指して「すごい」と?
いや、いっしょに結果を待っていた編集者の人たちがたちまち躁状態になるし、もちろん僕も混乱してますし、会見場に行けば人がいっぱいいるし、そうこうしているあいだに電子メールはいっぱい届くし。夜中までに300通くらい来てましたから。ああ、すごいなあって思いました。自分ではこれがどれくらいのことなのか、まだよくわかっていないんですけど。
――当人としては、周りの喧騒を冷静に観察していたのですね。
余裕があったわけでもないんですけど、というか余裕なんかなかったですけど、へえ、こういうものかとじっと見ている感じでした。
――革ジャンを着こなして壇上に座る姿は、堂々たるものでした。
普段のままです。いつもの通りでいいやと思って。
――過去3回は惜しくも落選で、今回は受賞という結果に。手応えは感じていたのですか。
そういうのは、自分ではぜんぜんわからないです。今作を発表したときには、新境地だねという言い方をいろんな人からされて、ああそうなのかなとは思いましたけど、自分では特に何も変わっていないつもりです。自分では、なんて言い方はまったく何の根拠にもなりませんが。
自分でも把握できないこだわり
――今作は読みやすさ、わかりやすさがぐっと増しているように感じます。ただ、文章自体がよく練られていて、読むこと自体の愉しみを味わえるのは、従来から変わらぬ山下作品の魅力かと。
文章を練る、という作業はほとんどしません。練るというよりは、リズムにだけ注意をはらうというか。文章を書くときの、自分なりのリズムみたいなものがすごくある。どうしてこうなるのか、人に聞かれてもうまく説明はできないけれど、自分のなかでははっきりとあるんです。それは毎回違います。もしかしたら今回は、今回のそのリズムが書かれる内容に影響したのかもしれません。
――山下作品では、読んでいるうちに知らず舞台となる場所が移動していたり、急に話者が入れ替わったりと、不思議なことが当たり前のように起こります。が、そうした独特のリズムがあるゆえ、さほど違和感なく読み進めることができるのですね。
そういうのも意図してやっているわけではないです。と、思っています。というのは、そのリズムなり書くときのこだわりの理由と言うか、訳は、自分でもよくわからないんです。自分でもまだ把握できてない。生きている間に把握できるようになるとも思えない。大げさですがそれほどの話でもある。子どもの作文のようなものです。子どもの作文とひとくちにいっても、いろんな作文がもちろんありますが。夢のでき方というか。どうして夢があんな風に作られるのか、みたいな。書き始めたころから今に至るまで、それはずっとそうです。
――これまでたくさんの作品を発表してきていますが、書き方や小説のつくり方の法則が掴めたという実感は……。
いや、まったくないです。いくつ書いても、あれ、どうやって書いたのだったかなと毎回、迷ってしまう。ちっとも慣れない。
――山下さんはもともと俳優、劇作家、そして劇団主宰でもあります。演劇という表現手段をすでに持っていたのに、なぜ文章による表現もなさるのでしょうか。
一人きりでやれるというのが気楽だというのがひとつあるのかもしれません。それに、それをやるための準備がいらないというのも大きい。芝居は、人を集めて稽古して、という前段階がすごくある。お金もかかる。かからないやり方もありますけど。絵にしても画材を揃えたりという準備がいる。あくまでも僕の場合ですが、文章は構えなくすっと入れるのが、今の自分の気分に合うんだと思います。
――創作のために周囲や人物を、日ごろからよく観察しているのでしょうか。受賞会見の際も、ご自身の置かれた環境をじっくり観察して楽しんでいるように窺えたのですが。
あれこれ見てはいます。でも、見ているだけというつもりはなくて、自分の気持ちもいろいろ揺れ動きます。動じていないように思われることが多いですけど、それはまったくそんなことはない。あと、よく見ているとはいっても、見たことをぜんぜん覚えていないので困ります。
倉本聰さんは親のような存在
――今作は、倉本聰さん主宰の「富良野塾」に2年間参加したという、自身の若いころの出来事がベースになっているようです。もちろん体験をそのまま書いたわけではないでしょうが、そうした濃密な体験もあまり覚えていない?
書き出してみたりしたのですが、本当に覚えてなくて。あまりに希薄で、二年間の話が一年で終わってしまった。でも今回の場合は、覚えていないというそのことこそがおもしろいんじゃないかと考えた。改めて調べたり、誰かに聞いたりするんじゃなくて、覚えていないというそのことこそをとっかかりにする、というか。
――全編が私的な小説のように読めるのに、作品の終盤で「すべては作り話だ」という記述が出てきて印象的です。今の自分が、過去の記憶の希薄さをとっかかりにして書いていくと聞くと、この記述が腑に落ちます。
本当と嘘の境目が僕にはよくわからない。本当のことにちょっとでも嘘が混ざったら、それはもう嘘って言われる。嘘の話に本当がちょっと混ざっていても、それはやっぱり嘘と言われる。じゃあ全部、嘘なんじゃないか。書かれたことも、喋ったことも、すべて嘘ともいえる。
――作り話であるとしても、富良野塾での体験が素になっているのは確かかと。受賞後、倉本聰さんとはお話になったのですか。
受賞の知らせを受けてすぐに電話したんですけど、留守電だったのでメッセージを入れました。折り返しの電話をいただいたんですが、今度は僕が出られなくて留守電が入っていました。まだ直接は話せていないです。
――山下さんにとって倉本さんは、どんな存在なのでしょう。
僕は若いときに親をなくしたというのもありますが、何というかやっぱり、親のような存在です。その人がもしもいなくなったとき、寂しいとか悲しいとか思う人はたくさんいるけれど、そういうのとはちょっと違う。もし倉本さんがいなくなったら、もちろん悲しいし寂しいけど、誤解を恐れずにいうと、僕はどこかで少しほっとするんじゃないか。そんなふうに思う人は他にいない。倉本さん、というか、先生しかいない。僕はこの歳になってもいまだに怖いんです。先生のことが。