「変わらない味なんてもんは本来存在しなくって。ウチは変わらないようでいて少しずつ少しずつ味に改良を重ねてるんやで。それをしなければ飽きられて競争に負け淘汰されるだけ。どんだけ変わらないように思えるもんでも進化と改良は必要なんや。けど、一気に変えたらそれはそれでアカン。分からんように分からんようにジワっと変えて行く、そこが腕の見せ所や」

レガシーとレボリューション

 大阪で変わらぬ味が魅力と名高い老舗の洋食屋の店主はそう豪語した。確かに、言われてみればそんな気になってくる。現在「まんぷく」で話題のチキンラーメン、それだって少しずつ少しずつ味に改良が施されている。きっと当時と変わらない味のようでいて、「まんぷく」当時のチキンラーメンと現行のチキンラーメンとを比較すると案外大きく味が変わっているはずである。頑固にスタイルを追い求めているように見えて、実は(有益な意味での)レガシー達<positive legacy>こそ日々の変化を重ね続けているのだ。それほど変わらぬ味を守り抜く事は大変だという事だろう。

 他方、我々は「リボーン」や「リニューアル」といった露骨な変化にも、つい心が躍ってしまう習性にある。特に新しもの好きの自分にしてみれば「改革」とか「刷新」とかそういった言葉にはすこぶる目がない。何よりここ数年チーム状況が低迷気味の我らがORIX Buffaloesには強く改革や変化を求めてしまう。やや古いパワーワードで言えば「CHANGE!」だろうか。なんて心踊る言葉だろう。保守派のドナルド・トランプが大統領の現在でも、やはり「アメリカファースト」より小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」の方が名言のように思えてしまう。申し訳ない、早くも話が逸れてしまったが、そういう意味では我らがORIX Buffaloesはやはり改革の、その道半ばと言わざる得ないだろう。

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 そう考えればORIX Buffaloesに求められるもの、それは「不変の味」と「心踊る変化」相反する2つの理念の調和なのではないだろうか。そう、誕生の経緯からしてこのチームにしか出来ない永遠の使命、それは「伝統と改革の融合」なのではないのだろうか。

オリックスの投手力はもはやレガシー

 ところで、ナショナルチーム同士が鎬を削るサッカーの世界では、そのファン達もその国その国のプレースタイルに強い拘りを持つ。「超攻撃型」とか「鉄のディフェンス」とか「高速パス」とかの表現が良い例だろう。その国のA代表を表す時に特にそう言ったプレースタイルの話題になる事が多いのは、たとえ野球だけのファンであっても恐らく皆ご存知のはずである。時にサッカー後進国がイメージ先行で他国のスタイルだけを真似てみても案外上手く行かず、ご本家のトラディショナルで圧倒的なプレースタイルの前にボコボコにされてしまう。ワールドカップでそんな無慈悲な光景を目の当たりにした経験は、誰しも一度や二度ではないはずだ。歴史あるサッカーだからこそ、その国のA代表の戦い方には「伝統のスタイル」が根付いており、たとえメンバーが変わってもその伝統を受け継ぐ傾向、幾多の人々が作り上げたレガシーがそこにはあるのだ。

 もちろん、それが野球であってもそれは同じである。補強費を惜しむジャイアンツは見たくないし、逆に数十億円かけてメジャーリーガーを獲得するカープも見たくない。1点を守り勝つのはライオンズのスタイルではないように思うし、一極集中はホークスの野球ではない。

 バファローズに関してはどうだろうか。自分が思うに、ことORIX Buffaloesに関してはやはり「投手力を中心に守り勝つ野球」であるように思う。これがORIX Buffaloesの基本的なプレースタイルではないだろうか。確かに「打ち勝つ野球」が大いに魅力的な事は昨シーズンのライオンズが証明してくれた。しかし投手王国を有するバファローズ野球はやはり「守り勝つ野球」。そこは前出の洋食屋のように、少しづつ少しづつの改良でスタイルを継承し続ける必要があるのではないだろうか。それは2枚の先発投手が抜けた今季でも、山岡投手、山本投手を中心に相変わらずの豊富で強固な投手力がそれを物語っている。露骨な変革は不要であるのだろう。洋食で言うならば「成瀬投手を隠し味に加えてみました!」くらいの変化で良いはずだ。もはやORIX Buffaloesの投手力は伝統と呼んでも良いだろう。いや、長く伝統を受け継いで来た事こそがORIX Buffaloesのレガシーなのである。