栗山英樹監督がまた新刊を出しました。

 あ、いま早合点をしませんでしたか。「うん1月に出たよね『稚心を去る』、ほんと毎年のように出るよねえ」って。違います、そのあともう1冊出たんです。栗山英樹最新刊『野球が教えてくれたこと』、札幌で地下鉄に乗ったらどどーんとでっかい車内吊り広告が目に飛び込んできて仰天しました。

 2か月の間に続けて2冊ですよ。しかもこういうのは初めてじゃあない。ファイターズが日本一になった2016年シーズンのあと、『「最高のチーム」の作り方』と『栗山魂』が相次いで出版されました。それから2年でまたこれです。

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1月に『稚心を去る』、3月に『野球が教えてくれたこと』を出した栗山英樹監督 ©文藝春秋

多作ぶりで思い出す“ある人”

 最初のページを開いてみると、野球少年へのアドバイスから始まっています。『栗山魂』が「14歳の世渡り術」というシリーズの1冊であったように、この本もまた中高生の読者を念頭に置いているのでしょう。大人向けと青少年向け、2冊の本をたて続けにというのもそう考えると納得です。にしても速筆だなあとは驚きますけれども(羨ましい!)。

 しかし、です。この多作ぶりは、どなたかを思い起こさせないでしょうか。多数の著書を持つプロ野球の監督。そして選手・栗山英樹はヤクルトスワローズ所属でありました。彼の現役最後のシーズンの監督だった人は。

 そうです、野村克也さん。「野村チルドレン」と称される名選手を何人も育てた名将です。ファイターズ関係に絞ってみても、新庄剛志も稲葉篤紀も武田勝も名前があがるでしょう。

 では、栗山英樹は?

 彼は僅か7年で現役引退しました。それはメニエール病の悪化によるものだと、本人が何度も書いています。『覚悟』でも、『栗山魂』でも。

 ただ、2012年4月、小説家の本城雅人氏が「恩讐の彼方に。」と題した文章を「Number」801号に書いているのです。栗山英樹現役引退時の本城氏はサンケイスポーツの記者でした。引退の情報を誰よりも先に掴み、自宅でユニフォームを畳む写真まで撮らせてもらったという人が思い出して綴ったその経緯には、病気のことが一切出てきません。

《監督が野村克也に替わったことで人生が急転する。野村は実力より人気が上回る選手を嫌った。池山隆寛、苫篠賢治、荒木大輔、長嶋一茂……当時のヤクルトにはそんな選手が多く(前年に34本塁打した池山も開幕戦は8番だった)、国立大卒の知的さと甘いマスクを兼ね備え、とりわけ女性ファンが多かった栗山もまた野村は好まなかった。》

《「与えられた準備をして、結果を出して、それでも使ってもらえないのであれば、これ以上自分にやれることはないと思った。それでも最後まで必死に足掻いたよ。だって引退をかけて戦っていたんだから」》

多数の著書を持つ野村克也氏 ©文藝春秋

野村克也の影響を受けている栗山英樹

 まだFA制度もなかった頃、持病を抱えた30歳間近の選手にとって、監督からの評価が低いと自覚していることの重さはどれほどのものだったか。しかしその一方で、決して反発だけがあった訳でもないんですね。

《栗山は引退後、ヤクルトの元同僚たちからノートを借り、野村克也のミーティングを学んでいた時期がある。

「(野村さんに対して)そりゃどこかに自分を使って欲しかったという気持ちはあったよ。ただそれは自分の感情とは別問題だと思った。離れてしまったのだから余計に勉強しないといけない。野村さんが素晴らしい野球をやっているのは分かっていたし、知らないままでいるなんてもったいないことだと思った」》

《「ある意味、俺が野村克也という監督を一番知っているかもしれないと思う」》

 という文章を最初に読んで栗山ファイターズを観始めたので、「ノムさんと似てるところがあるなあ」とずっと思っておりました。特に選手の褒め方なんかそうです。「無視・賞賛・非難」の野村流は有名ですが、たとえば大谷翔平が好投しようが中田翔がホームランを打とうが「普通だよ」「バカヤローだよね」等とコメントする栗山流はそのバリエーションに見えたのですよね。言葉の字面に反してその声音は弾んでいるし目元も笑っている、褒めているのは丸わかりという、しちめんどくさい褒め方です。

 でも、この本城氏の文章以降「野村克也の影響を受けている栗山英樹」という言及を見聞きすることはありませんでした。本人の著書でも、スワローズ歴代監督の名前を挙げて、かくかくしかじかこのようにお世話になったと詳述している中、野村監督についてだけそうではない。目をかけられている選手ではなかったから、詳しく述べようがないんですよね。

 と思っていたところへ今回の新刊『野球が教えてくれたこと』です。目次を見てあっと思いました。最後の「第4章 挫折に学ぶ」の小見出しです。「自分を他人と較べるな──内藤博文監督」「自分の居場所を見つける──関根潤三監督」「最初に選手の心を鷲掴みにする──野村克也監督」……他の監督と同じように、野村監督の名前が挙がっている!

 監督就任時の初ミーティングで衝撃を受けたということ。指示通りのプレーができなくて叱られた時のこと。そんなことが細かく綴られています。初めてのことです。栗山英樹の中で、どういう心境の変化があったのか。