「私たちは一番、幸せなのかもしれない」
冷たかったビールはいつしか人肌の温度になっていた。ポジティブでいなければいけないと思っていた私の心に溜まった澱。ママは何も言わなかったけど。その澱を、澱のまま静かに外に流してくれた。「言ったでしょ、ここはスナックかなしみ」。ママが何本目からのタバコに火をつけた。「勝ち負けだけで追っかけてたら、このチームのファンにはならない。だけど勝ってほしい。ベイスターズはベイスターズのまま、勝ってほしい」ママはビールを一気に飲み干した。「あんたの気持ちはわかるよ。ファンは無力だ。無力だからこそ、自問自答する。そして時に、無力な者同士が争う。だけど、無力な者だからこそ、辛い時はこうして温め合う。他所から見たら滑稽だろうが、私たちは一番、幸せなのかもしれない」。幸せ? 楽しいはずのGWに、私はこうして今、「スナックかなしみ」にたどり着いてしまった。それは、幸せなの? ママ。「一瞬の奇跡のために、何十年も辛い時間を過ごせる。人生の全部があるよ、ベイスターズには。そうだろ?」。おもむろに年季の入ったドレスの袖を捲った。ママの、ふくよかな腕にはっきりとあった、青い「B」の文字。「ベイスターズファンはね、生まれながらにしてベイスターズファンなんだよ」。
こんな日は、腕に刻まれた「B」の文字が疼く。ママの作るやたら濃い水割りが、目の前の現実に優しいフィルターをかけていた。
「Amazing grace, how sweet the sound」
嗄れた声でママが歌う。アメージンググレイス、神の恩寵。
「When we’ve been there ten thousand years」「Bright shining as the sun」
たとえ何万年経とうとも、大洋のように輝き続ける、我々はベイスターズファン。そうだね、ママ。ありがとうママ。私やっと「明日は明日」って言える気がする。
季節が逆戻りしたような、冷たい風が頬に当たる。寒の戻りというやつか。だけどそれが、今は心地いい。ドアを出て、もう一度振り返る。煤けた看板にはこんな文字があった。
「スナックきぼう」
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