寂れた場末の路地にその店はある。「スナックかなしみ」。導かれるように、私はドアのノブに手をかけた。

 カウンターと小さなボックス席が2つ。「カランカラン」というドアベルを聞きつけて、店の奥から「今日はもう閉店よ」という嗄れた声がする。帰ろうとする私を見て「あら」とママは呼び止める。「あんた、ベイスターズファンだね」。そして「座りなさい、ビールでいいかい?」とまた嗄れた声で言った。

寂れた場末の路地にある「スナックかなしみ」 &iStock

「人間はね、簡単に『明日は明日』なんて思えないんだよ」

 季節が逆戻りしたような、冷たい風が頬に当たる。寒の戻りというやつか。街はいよいよGWを迎えて浮き足立っていた。ただ、私を除いては。足取りは重い、「前を向こう」といっても、どっちが前かわからない。「これがベイスターズ」「負けるのには慣れてる」「2桁連敗からが本物」自分を守るための諦めの言葉ならたくさん持っていたはずだ。でも、かつて守ってくれたはずのこれらの言葉は、ただの有刺鉄線だった。誰も、自分をも近づかせないための、棘。

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 帰れないよ、このままじゃ。どこをどう歩いていたのか、目の前に急に、この店が現れた。どうしてママは店に入れてくれたのだろうか? どうしてベイスターズファンだってわかったの? 温かいおしぼりに少し安堵しながら、ぼうっとしている私に、ママが冷たいビールを注ぐ。「この店はね」「かなしみを抱えた人間しか見つけられない」。自分のグラスにもビールを注ぎ「じゃ、れんぱい」と言ってグラスを合わせた。ビクッとした私に「冗談だよ、かんぱい」と笑い、もう一度グラスを合わせた。

「今あんたは、無理に何かを納得しようとしてる」唐突にママがそう言った。「『仕方がない』『そういうときもある』『選手が一番辛いはずだ』『前を向かなきゃ』って、一生懸命思ってる」。タバコに火をつけて、もう一度私の方に向く。「でも、本当はそうじゃない、だからここに来たんだ」。

 虚を衝かれた思いで、ママを見た。派手なお化粧があまり似合ってない、だけどその笑顔は優しかった。言ってもいいのかな、ここだったら。泣いてもいいのかな。「この店の名前は、かなしみ。人間はね、簡単に『明日は明日』なんて思えないんだよ。だからこの店がある。みんなここにかなしみを置いていく。それでやっと、新しい明日を迎えられる」。突き出しのししゃもに、涙が溢れた。「ちょうどいい、減塩タイプだから」と嗄れた声で笑った。

巨人に敗れ、9連敗を喫したベイスターズ

次々に溢れ出る私の心に溜まった澱

「ママ、聞いてよ。どうして上茶谷くんを勝たせてあげられないの? 4月2日のヤクルト戦、プロ初先発だった。好投した。でもダメだった。2戦目の甲子園、この日は打線が絶好調で7回表まで5点差つけてたんだよ。でも次の瞬間に4点差をつけられて試合は終わってたの。私、もう過去のことだから『5点差で勝ってたのに5点差で負ける』とか言ってた。だってもう、今のベイスターズは今のベイスターズだから。だからって、それ実行してどうすんのよ。ルーキーに、どうしてこんな形で、ベイスターズをご紹介するの? 誰も悪くない。だから余計に辛いよ」

「ママ、オープナーって何? 何なの? なんだかよくわからないものに、大事な国吉投手を巻き込まないでほしい。ママ、すごいピッチャーなの国吉は。『必ずいくからそこで待ってろ』って言われて、ファンはずっと待ってた。ホームの端でずっと待ってた。オーストラリアでの自炊修行を経て、持ってる極上の素材を活かすピッチングを見つけて、ようやく帰ってきてくれた。新しいことを否定するんじゃないのよ。でもママ、博打の犠牲にだけは、してほしくないんだよ、大事な選手を」

「ママ、私心配なの。たくさんの心配があるの。筒香キャプテンは本当に素晴らしいキャプテンで、あのベイスターズを一つにまとめ上げたすごい人で、でも筒香が一つにしたことで、停滞するときは全員が同時に停滞してしまう、そういう怖さもある。本当はもっと、ゴツゴツしてていいんだよねママ。みんないい子で、いい子だからこその苦悩があるって、私初めて知った。ねえママ、もし筒香が、ベイスターズの選手がここにきたら、思いっきり飲ませてあげて、たくさん愚痴を聞いてあげて。辛い時は辛いと言わせてあげて」