70年目の開幕。ハマスタは春が来る度に新しい顔を見せてくれる。

 2019年のハマスタはライトから一塁側内野席に懸けて増設されたウィング席やら、ネット裏の個室観覧席による縦幅の仕業なのか、その青がより濃くなったような印象を受けた。

年々進化を遂げる横浜スタジアム

久しぶりに遭ったマルハ

 DeNAがベイスターズを持って8度目の春。横浜の町にベイスターズはあたりまえのように存在し、この開幕シリーズも球場にはたくさんの人が詰めかけた。開幕戦の3万1838 人は当然ながら史上最多の客入り。オープニングセレモニーには、松原誠、平松政次、山下大輔、斉藤明夫、高木豊ら光り輝くホエールズの英雄たちが一同に会して開幕を祝う。彼らを囲む青の軍団が声高らかに歌う曲は、「されば港の数多かれど この横浜に勝るあらめや」。

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 ちょっと気を抜くと、鼻の奥がツーンとなる。あのエモーショナルが過ぎる映像も含め、DeNAが球団を持って以来、アイラブ横浜、アイラブ横浜と、お題目のように横浜愛を叫び続けてきたことで今日のこの光景があるのだと思っている。

 横浜がダメだダメだと言われ続けていたあの時。新潟いくな。静岡いくな。横浜に居てくれと祈り、捨てないでと縋り、「チクショウ、便器はTOTOしか使わねえぞ」と誓ったおじさんらは、その後、横浜というホームタウンを大切にし、歴史と人を直視しながら、「されば港の数多かれど」を実証してくれている球団に感謝を捧げている。

 そんななか、今年はハマスタに「は」の赤い文字がやけに目につくようになった。マルハ。母なる大洋の親会社。DeNAは球団創設70年の記念事業として『70th ANNIVERSARY PROJECT』なる催しを行い、公式スポンサーには、なんと、かつての大洋漁業であるマルハニチロが就任したのだとか。モビーゴッド。いや、オーマイガ。

 そのロゴをみるとやっぱりね、おじさんの世代は心のどこかにマルハがいるんですよ。久しぶりに遭ったマルハ。少し丸みを帯びてね。あれ、こんなかわいかったっけ。まるは。と、妙にうれしくなってきて、気が付くと財布のヒモがだるんだるんに緩んでしまい、懐かしさと愛しさに支配されたおじさんの脳髄には小林亜星の朗らかな声が響き渡るのだ。

 まーーるーーはーーのーー地ー区ーわっ?

 それは……下関です。

マルハニチロ

夢とクジラの国、下関

 大洋漁業の本拠地にして、DeNAベイスターズの前身、大洋ホエールズが70年前に産声をあげた我らの故郷。大洋漁業本社跡地の石碑に、まるは通りと、その町は「大洋」の名が失われて久しい平成の最晩期となった今にして尚、まるは、大洋、林兼(「まるは」の「は」は林兼商店の「は」)の文字があちこちにある夢とクジラの国。

 今年の3月10日、DeNAとなったベイスターズが『70th ANNIVERSARY PROJECT』のとっかかりとしてこの下関でオープン戦を行うことが決まった。なんでも12年ぶりという話を聞いて驚いた。おじさんが若い頃のベイスターズは毎年のように下関で試合をやっていたもので、彼の地は「横浜以外の日本で唯一ベイスターズファンが多数派を占めている土地」という認識があったからだ。だが実際には07年の大矢二次政権時代以来試合を行っていないという。そりゃ、まぁね。ちょうど翌年からとんでもない時代がはじまるタイミング。故郷に足向けできないとでも思ったのか。足が遠のいてしまった気持ちもわからんでもない。

『70th ANNIVERSARY PROJECT』のとっかかりとして下関でのオープン戦が組まれた