2016年も日本テレビの圧倒的な強さが目立った。
だが、そんな中でもジワジワと存在感を増して行っているのがTBSだ。
近年は『半沢直樹』の大ヒットを契機に日曜9時ドラマが安定しているが、加えて昨年は『逃げるは恥だが役に立つ』が社会現象化。かつての「ドラマのTBS」が復活する勢いを感じる。
バラエティも元気だ。『爆報!THE フライデー』、『ぴったんこカン・カン』、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』へと続く強固な金曜日の流れを築きあげ、他の曜日でも『ニンゲン観察!モニタリング』、『マツコの知らない世界』などファミリー層向けで安定して高視聴率を獲る番組が増加している。その一方で、『水曜日のダウンタウン』、『クイズ☆スター名鑑』を筆頭に“攻めた”番組も多い。特に深夜には『クレイジージャーニー』、『万年B組ヒムケン先生』、『有田ジェネレーション』といった強烈な個性の番組が連なっている。
ドラマとバラエティ、攻めと守り、両輪がしっかり噛み合っている印象だ。
いまのTBSのバラエティが好調の理由を訊かれ『水曜日のダウンタウン』や『クイズ☆スター名鑑』を手がける藤井健太郎はこう答えている。
「企画の中身が、正当に評価されるようになっている気はしますね。(略)上の人たちが、面白いものにちゃんと価値を見いだすようなジャッジの仕方をしてくれている。そして、その感覚が、(視聴者と)そんなにズレてない」(「日刊サイゾー」16年9月8日)
ダウンタウンとの失敗、という転機
その「上の人」のひとりが、制作部門のトップである合田隆信だろう。
歴史を紐解くと、70年代圧倒的に強かったのはTBSだった。特にゴールデンタイムは63年から81年まで実に19年間にわたってトップに立ち続けた。
だが、80年代のフジテレビの躍進と90年代の日本テレビの逆襲によって、民放3位が定位置に。それどころか、90年代後半から始まったテレビ朝日の猛追を受け、4位にまで落ち込み、かつての王者が「どん底」の状態に陥っていた。
90年代、TBSではお笑い芸人を中心としたいわゆる“お笑い”番組が『さんまのからくりTV』など数少ない例外を除いてゴールデンタイムではほとんど作られなくなってしまっていた。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が終了した92年に始まったのが、当時、破竹の勢いだったダウンタウンを迎えた『生生生生ダウンタウン』である。
しかし、ダウンタウンとTBSスタッフが噛み合うことはなく、わずか1年弱で番組は終了。この番組の“失敗”がTBSバラエティにとって転機となったという。
当時、ADとして番組に参加していた合田は当時の局の状況を「芸人さんとか、いわゆるバラエティ系のタレントさんとやる体質とか、理解力がTBSには全くなかった」(WEB「御影屋」インタビュー)と振り返っている。その結果、芸人バラエティが“封印”されてしまったのだ。
その後、TBSが活路を見出したのは、アイドルバラエティだった。
V6と組んだ『学校へ行こう!』、そしてTOKIOと組んだ『ガチンコ!』だ。
このふたつの番組の総合演出を務めたのが合田隆信。これらが現在のTBS流お笑い番組の基礎になっているといえるのではないだろうか。特に『ヒムケン先生』は、総合演出の塩谷泰孝(シオプロ)を筆頭に制作スタッフの中心の多くがこれらの番組でADなどを経験したメンバーだ。
「本番組は情報性を一切求めません」
さらに合田は編成部に移ると、『リンカーン』を立ち上げ、お笑い芸人によるお笑い番組を復活させた。
お笑い番組の系譜が途絶えていたため、現場にはノウハウがほとんどない。だからハリセンやパイ投げのパイの作り方、熱湯風呂のサイズ、台本の書き方に至るまで、試行錯誤の連続だったという(藤井健太郎『悪意とこだわりの演出術』より)。
そんな『リンカーン』に立ち上げからチーフAD(のちにディレクター)として参加したのが、藤井健太郎だ。他にも『クレイジージャーニー』の横井雄一郎など、多くの制作者がこの番組で経験を積んだ。前出の塩谷もそうだ。
ある制作者は合田に、「視聴率のいい番組を作るのもとても大事」だと前置きした上で、同時に「ヒットする番組が大事だ」と言われたという。つまり広く浅く見られるものだけではなく、見た人に深く刺さり、“現象”を巻き起こす番組を作ろうということだろう。
藤井健太郎は、自身の著書で「100人が『1』面白いと思ったモノと、1人が『100』面白いと思ったモノには同じ価値があると思います。だから、その人数と深さを掛け合せた面積をどれくらい大きくしていけるかが勝負」(『悪意とこだわりの演出術』)と綴っている。
また、上司に「自分の好きなことを突き詰めてもう一度冷静に考えてみたら?」とアドバイスされ『クレイジージャーニー』を作った横井は「まず自分が好きなことじゃないとダメなのでは、というのは今すごく思うこと。(略)最後の一歩のところで妥協するもしないも、『自分が見たい』があれば時間の限りやれる」(「ACC」)と言う。
そして合田とともに総合演出として『学校へ行こう!』を手掛けた江藤俊久は、自身がプロデューサーを務める『ヒムケン先生』で、出演者たちを前に「本番組は情報性を一切求めません」と宣言したという(「エキレビ!」2016年5月23日)
そういった“合田イズム”がいまTBSで活躍している制作者たちに根付いている。
そしてそれを「是」とする合田が制作部門のトップに立っているからこそ、TBSバラエティは“攻めて”いるのだ。
だが、藤井の言う「上の人」は合田だけではない。もうひとりの「上の人」については次回見ていきたい。