来月1日の皇太子殿下の新天皇即位にともない施行される新元号が「令和(れいわ)」と発表された。

新しい元号「令和」と書かれた色紙を掲げる菅義偉官房長官 ©AFLO

 これまでの元号には、過去に何度か候補になった末に選ばれたものも少なくない。平成は、慶応改元の際に候補になって以来、2度目での採用となった。しかし令和は、歴代の元号で初めて日本の古典(『万葉集』)が典拠となったためか、これまでに候補になったことはないようだ。「令」の字が元号で使われるのも初めて。過去の元号の候補になったなかでも、「令徳」の1例だけだという。

 これに対し、「和」の字は、昭和に続き、令和で20回目の使用となる(候補で使われたケースにいたっては30例を数える)。大化から令和まで248の元号で使われた文字は73を数えるが、そのうち最多は29回の「永」で、次いで「元」「天」(いずれも27回)、「治」(21回)と続き、「和」は今回の改元で「応」と並ぶ使用回数となった。

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新元号「令和」について記者会見をする安倍晋三首相 ©JMPA

 「和」の字の最初の使用例は元明天皇即位の翌年、708年に改元された「和銅」だ。その次の元正天皇も即位した715年に「霊亀」と元号を改め、こうして天皇が即位したら必ず改元するという慣例が確立された。さらに時代を下って、江戸時代最初の改元となった「元和(げんな)」にも「和」がつく。これは後水尾天皇の即位の4年後の改元だが、徳川幕府はこの改元の直後に「禁中並公家諸法度」を発布、そのなかで改元の規則ともいうべきものも定め、改元の主導権を握ることになる。以後、江戸時代を通じて、将軍職の継承を理由にした改元もたびたび行なわれた。

 今回の改元は、日本の古典から選ぶという安倍首相の意向が色濃く感じられるものになった。先にあげたとおり、歴史上、改元において画期をなすようなできごとが起きた際に「和」の字を使うケースが目立つことを思えば、今回この字が再び登場したことには、何やら因縁めいたものを感じないでもない。

【参考文献】
所功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』(文春新書)
毎日新聞政治部『ドキュメント新元号平成』(角川書店)
「21世紀を照準に新元号」(『読売新聞』1989年1月8日付)

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