床には福岡ドームで使われていた人工芝も
ホークスが平和台球場を去ったのが1992年。
そして1997年に完全閉鎖されて、その後取り壊された。昭和の名残も少なくなっていく切なさを多くのプロ野球ファンが感じていた。
安田さんは平和台球場の取り壊しの日に現場に行き、球場の破片も収集したという。
また、本拠地を福岡ドーム(現ヤフオクドーム)に移してからのホークスは常勝軍団への階段を着実に昇っていった。平和台時代は想像が出来ない強さと破壊力が備わり、1999年にダイエーホークスとしての初優勝を飾ったのは我々福岡県民にとって忘れる事の出来ない歓喜の瞬間だった。
その時の安田さん。スーパー「ダイエー」の優勝セールが終わる頃に店頭に出向くと頭を下げて、破棄するであろう優勝セールの案内に使った印刷物を引き取って来たのだ。今回は“ミュージアム”からさすがに引っ張りだせなかったが、初優勝の時に福岡屈指の繁華街である天神のビルにぶら下がっていた20メートル以上もある垂れ幕もロール状で保管されていたのには驚かされた。
ただ、それ以上に驚いたのは床に敷いてある人工芝だ。福岡ドームが開業した1993年からONシリーズを戦った2000年まで、実際に福岡ドームで使われていたものなのだ。
その当時、人工芝の張り替えをするという情報を聞きつけてさっそく球団に連絡。しかし、時すでに遅し。神奈川県の陸上競技場への転用が決まっていたという。
それでも「なんとかならないかとお願いをした」ところ、余った数枚を譲り受けることができたそうだ。なかなかここまで食い下がるコレクターはいないのではないかと思う(笑)。
球団スタッフの温かみを感じるコレクション
最後に、安田さんが特に好きなコレクションだというのが、球団が作ったポスターだ。
「試合結果が出てから翌日の試合には球場のアチコチに貼られているんですよ。きっと夜通しデザイン案とか構成とかを球団スタッフが試行錯誤して作成されたであろうポスターには温かみすら感じるじゃないですか」
ここでも裏方スタッフの気持ちを汲むのが安田さんの素敵なところだ。
もちろん、このコレクションも掲載期間が終わったら球団に連絡をして頭を下げて譲り受けたものである。
ソフトバンクへと親会社が変わった現在に至るまで、ホークスの足跡を辿ればとてつもない人数の球団スタッフとその想いが関わっている。プロ野球選手をファンが応援するのは当たり前の姿。ただ、その状況を作り上げていく上で不可欠な存在である「支える人たち」を安田さんは今でも応援し、労い続けている。
「ホークスが優勝した時は、スタッフの方に一番最初に“おめでとうございます”と言うのが習慣になってしまいました(笑)」
時代は遷り変わり令和元年になった今シーズンもヤフオクドームで配られる無料のグッズを収集し続けている。
もう一度言うが、この“ミュージアム”は一般公開されているわけではない。
ただ、安田さん自慢のコレクションはホークスファン垂涎のアイテムがずらり揃う。2020年春にヤフオクドーム敷地内にオープンする「E・ZO FUKUOKA」(イーゾ フクオカ)で移転再開する「王貞治ベースボールミュージアム」で展示されれば、みんな大喜びすること間違いなしだ。これまでとは逆に球団スタッフが一生懸命アイテムの提供をお願いすれば、その時は間違いなく安田さんが差し出すに違いないだろう(笑)。
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