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学生でポルノ業界にいた私にとっての「フェミニズム」

 なぜ覚えているかというと、上野編の同書にある中谷文美の論考「<文化>?<女>? 民族誌をめぐる本質主義と構築主義」の中にある次のような一文が、当時のメモ書きの中に太字で残っているからだ。

〈前述のようにあらゆる女性の経験を一元的な「女」の経験に回収することが不可能になった現在のフェミニズムにおいて、均一の抑圧状況を生きる「自己」は想定できなくなっている〉

 学生をしながらポルノ業界にいた私にとって、すでにフェミニズムというとポルノ批判や猥褻な表現の反対運動をする面倒な人たちだという印象が強く、できれば距離をとって付き合いたい存在だった。もっと原点を辿れば中学生の時にテレビで田嶋陽子が私の好きだった華原朋美「I’m proud」の歌詞を抜粋し、男性依存的だと指摘していた時から、さらに前の記憶では大学で教える母の同僚が「ままごと」で遊ぶ私が料理ばかり作ることに異議を唱えてきた時から、私は自分に必要のない議論として、女性運動を捉えていた。

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20歳を超えた私が、高校時代の万能感を失いつつあったこと

 高校に上がり、ギャル文化全盛期にあって、男性より女性であることの方がずっと注目を浴びやすかった私たちに、援助交際定着後だった渋谷で常に選ぶ権利がこちら側にあると思っていた私たちに、差別や権利の概念は必要のないものだった。女であることはあまりに自然で、そうであることに自らの価値のほとんどがあるような、そういった感覚は私たちを心底楽しませたし、それは大学生になった時にも、批判的に振り返るべき時間のようには思えなかった。

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 それでも、中谷論文の何気ない解説の一文が私を痺れさせたのは、ちょうど20歳を超えた私が、高校時代の万能感を失いつつあったこととも関係している。アダルトビデオのモデルとなり、裸になってみると、女子高生時代の制服が鎧のように自分を守っていたことに気づくし、痛快なほど残酷な業界で1歳2歳と年齢を重ねて、若さという価値は露骨に失われていくことや、若さや制服の鎧は良い意味で私たちの視界を狭め、不快なものが目に入らないようにしてきたことも朧げに見えてきた。