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巨人戦で打ちまくった大洋・平田薫の記憶と中井大介に寄せる思い

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/07/24
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 1985年は“平田”の年だった。21年ぶりの日本一に輝いた阪神は真弓、バース、掛布、岡田が3割30本以上を記録する強打ぶりで他チームを圧倒した印象が強いものの、その裏で12球団トップの161犠打を達成している。近年は送りバントの是非論が交わされ、昨年はオリックスの118犠打が12球団一というデータからすると当時のバント多用ぶりが窺えるが、その代表格だったのがチームトップタイの25犠打をマークした平田勝男。同じく25犠打の北村照文、23犠打の弘田澄男らと共にバントを決めまくった平田は7番打者ながらも50打点を挙げ、華麗なショート守備も相まって阪神優勝の陰のMVPと言われた。そんなバント職人は94年の引退試合、現役最終打席でも送りバントを決めている。

巨人戦で打ちまくった大洋の“平田”

 わが横浜大洋ホエールズの“平田”はこの年巨人から金銭トレードで移籍してきた平田薫だ。81年の日本シリーズで日本ハムの高橋一三、木田勇からホームランを放ち優秀選手賞を獲得。左腕キラーとして君臨するも、84年は春先にファームの試合で骨折し一軍出場はゼロ。まだ30歳ながら王貞治監督の構想から完全に外れ、自由契約同然で大洋にやってきた。横浜前監督の中畑清、その下でコーチを務めた二宮至とは駒大の同級生であり、キヨシが巨人に3位指名された際には「平田と二宮も一緒なら巨人に行く」との申し入れによりドラフト外入団。大洋移籍時はキヨシが以前住んでいた家に住むなどガチの仲良しトリオだった平田だったが、心機一転打倒巨人に執念を燃やすこととなる。
 
 前年の84年、巨人に6勝19敗1分けと完膚なきまでにやられた大洋はこの年、現役時代に巨人を追われ中日監督時代から巨人叩きをモットーとしていた近藤貞雄監督が就任し、「横浜大洋銀行」の返上を期する。そこで平田をしばしば起用するのだが、平田は期待に応えて5月11日には江川卓から先制タイムリーを放ち、エース遠藤一彦の完封勝利をアシストする。ちなみに遠藤が巨人・クロマティから三振を奪った際にあの有名な「チョンチョンポーズ返し」をかましたのはこの試合だ。

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 その後も平田は巨人戦で打ちまくる。6月2日は後楽園で9回にストッパー角三男から試合を決めるダメ押しの代打3ラン、9月8日には巨人の自力優勝を消滅させる満塁アーチ、最終戦となる10月3日には西本聖から逆転3点二塁打を放つ。この年大洋は巨人に13勝10敗3分けと前年の借りを見事に返したが、それは平田薫の神がかり的とも言える打棒なしには成しえなかった。反骨、執念、男の意地。当時小学5年生の筆者は平田にシビれ、心震わされた。スーパーカートリオのように華やかなスターがいる一方で、古巣を追われてもこうしてきっちり見返す男の姿は格好いいな、と。平田の85年の成績は打率.267、6本塁打。39安打で33打点。勝負強さは打点の多さからも伺える。

1985年6月2日、角三男から一発を放った翌日のスポニチ。「巨倒代打3ラン」の文字と共に平田薫が一面を飾った。 ©黒田創
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