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文在寅、慰安婦、徴用工……「反日」ばかりじゃない。98歳の韓国軍人と日本を繋ぐ物語

元韓国駐在武官が回顧する“伝説の韓国軍大将”白善燁 #1

2019/07/22

満州軍官学校を卒業した“西郷隆盛”

 白善燁退役大将は、筆者の防衛駐在官勤務時代を通じ最もお世話になった方である。帰国後も御厚誼・御指導を賜っている。私が自衛隊を退官する際の小宴には、わざわざソウルから熊本にお出で頂いたほどだ。

 第2次世界大戦を戦った帝国陸軍の将帥は「敗軍の将兵を語らず」で、あまり公の席で戦の話をされなかったからか、私は、旧日本軍の有名な将校から教えを頂く機会はほとんど無かった。しかし、白大将は1941年に満州軍官学校を卒業されており、韓国人ではあるものの、まるで旧日本陸軍の将軍に接するかのような感じがした。

福山隆氏 ©文藝春秋

 私にとっては国を守るという職業柄、今村均大将など旧日本陸軍の将帥に対する思慕のようなものを抱いていたが、彼らに代わって、しかも彼ら以上に客観的に、心をこめて御指導を頂いた白大将は、まるで父親のような気すらしている。

 私だけではない。反日感情が残る韓国において、歴代の防衛駐在官が白大将のお世話になっている。いわば「力強い後援者・後見人」の役割を担って頂いている。

 1920年生まれの白大将は朝鮮戦争の勃発時は29歳。その際は韓国陸軍第1師団長に任じられた。38度線の西翼にあたる開城の正面約90キロの防衛を担当していた。

 朝鮮戦争を戦う中で、その作戦・指揮能力などが認められ、逐次累進して第1軍団長、休戦会談韓国代表、参謀総長などを歴任し、1953年1月には、韓国軍初の陸軍大将になった。

 白大将は、村夫子然とした親しみやすい風貌で、肩書きに強くこだわる傾向が強い韓国人の中にあっては、例外的に極めて謙虚であり、相手の年齢・地位などに関わりなく、対等に、実に自然体で、気軽に対応され、どんな人でも懐に受け入れる器の大きさを実感できるお人柄であった。

 明治維新の立役者の一人、坂本龍馬が、西郷隆盛の人物を評して「大きく打てば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る鐘の如し」と言ったというが、私は白大将に親しく接して見て、この西郷隆盛評がそのまま白大将の人物評にも当てはまるように思えてならなかった。

朴正煕と全斗煥のクーデターを間近で目撃

 白大将は、常々シビリアンコントロールの重要性を強調された。白大将は、旧日本軍の政治関与については、満州軍の少壮将校時代に雰囲気の一端を体感されたことだろう。また、朝鮮戦争においては、マッカーサー元帥と接する機会もあったと思うが、マッカーサー元帥が朝鮮戦争指導においてトルーマン大統領と衝突し解任されるという事態を見聞され、これを教訓にされたのだと思われる。

朝鮮戦争の時の韓国軍兵士 ©共同通信社

 さらには、韓国においても1961年の朴正煕少将による軍事クーデター、そして1979年の全斗煥少将による粛軍クーデターが続き、韓国の政治に対する軍の関与を間近で目撃された。白大将は、歴史的にこのような軍の政治関与をつぶさに見られ、シビリアンコントロールの重要性を信念とされていたものと思う。だからこそ、韓国の歴代軍事政権とは一定の距離を置かれていたと承知している。