冲方さんのスマホが鳴ると……
そうこうしているうち、いつ賞の主催者から電話が入ってもおかしくない時間に差しかかってきた。短い休憩時間を挟んで、再び壇上に座った冲方さんの笑みは、心なしか先ほどよりも硬さが加わったか。それにも増して編集者の面々は、笑顔をつくるのを時折り忘れてしまうほどに。
壇上の人々も、参加者も、視線はついつい、テーブルに置かれた冲方さんのスマホに集中してしまう。と、芥川賞は受賞者が決定したというニュースが入る。残る直木賞も、もうすぐに決まるはず。
「さすがに緊張しますね。でもありがたいことですよ、こうやって出版業界が盛り上がる機会を持てるというのは」
と冲方さん。じっと固唾を飲んで待っているのも妙なので、冲方さんの今年の仕事の予定についてあれこれ話をしていると、会場内に甲高い音が響いた。間違いなく、スマホの着信音だ。
冲方さんがスマホを手にし、耳にあてる。
「はい、もしもし。はい。はい。わかりました。はい、ありがとうございます」
短い通話が終わった。声のトーンが平常のままだったことから、結果が察せられた。
「いや、残念でした。みなさんありがとうございます、こうやっていっしょに待ってくださって」
と冲方さん。受賞は、ならず。
いい悔しさが湧いてきた
とはいえ、落ち込んだ素振りは見せない。
「どう? みなさん緊張しました? でも、こうやって待つのは楽しいですね。ああ、ようやくひと息つけました。今回は落ちたけれど、これでまたこういうイベントができるのだから、いいかな。ぜひノミネートされるような作品を次も書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします」
柔らかさを取り戻した笑顔で、冲方さんは参加者に感謝の意を伝えた。気を取り直して、今年の計画についてひと通り話をして、20時前に会はお開きとなった。帝国ホテルでは、そろそろ受賞者の記者会見が始まるころだった。
楽屋に戻った冲方さん、編集者や関係者の挨拶を次々と受ける様子は、多少の疲れが見られるものの、清々しさを漂わせている。今の心境と、ファンとともにあるという新しい待ち会を試みた感触は?
「集まってくださった方には、ドキドキ感を共有できたりして、けっこう楽しんでいただけた気がするんですが。そうだったら何よりです。僕自身はそうですね、負けず嫌いなので、今は悔しさがふつふつと湧いてきました。でも、これはいい悔しさ。大人になるとこういう感情ってなかなか訪れないので、貴重な機会になりました」
すぐにまたこうした場を開けるように、動き出そう。そんな気持ちで担当編集者、ファン、そして作家本人が一丸となるさまを、会場で目の当たりにした。芥川賞・直木賞の発表は、半年ごとにやってくる。冲方さんによる待ち会が次に開かれる日は、この様子だとかなり近いとみた。
写真=榎本麻美/文藝春秋