きょう2月11日は建国記念の日。1966年に国民の祝日に加えられ、翌67年に初めて実施されてからちょうど50年が経つ。もともとこの日は『日本書紀』の伝える神武天皇即位の日とされた戦前の祝日・紀元節だった。戦後、その復活運動が保守勢力から起こるとともに、これに反対する歴史学者や革新団体・宗教団体などとのあいだで議論が繰り広げられてきた。

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 初の建国記念の日は土曜日で、関東地方はこの日を挟み3日間、記録的な大雪に見舞われた。雪のなか皇居前へ人々が奉祝に集まる一方で、各地で反対集会も行なわれ、東大教養学部などでは学生・教官による同盟登校も実施される。

 都内にはまた、黒い日の丸を掲げ建国記念の日に無言で反対を訴えて歩く一団も現れた。ただしこれは、大島渚監督の映画『日本春歌考』の撮影のため仕立てられたもの。黒い日の丸は美術の戸田重昌の発案だったが、「雪が降らなかったら、あれだけの効果は出なかったよ」と大島は語った(大島渚『大島渚1968』青土社)。映画はこのあと2月23日に公開されている。

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大島渚 ©文藝春秋

 初めて建国記念の日が実施された1967年には、考古学者・東洋史学者の江上波夫が日本国家の起源について自説をまとめた『騎馬民族国家』(中公新書)を刊行、学界に論争を巻き起こした。大和政権は大陸の騎馬民族が北部九州・畿内を征服して樹立したものとする江上の説は、手塚治虫がマンガ専門誌『COM(コム)』創刊号(67年1月号)より連載していた「火の鳥・黎明編」にも影響を与える。同作では、天孫降臨神話の主人公である神・ニニギノミコトと神武天皇のイメージが重ね合わせられるなど、手塚独自の神話解釈が展開された。

江上波夫 ©文藝春秋