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「余命半年の宣告から3年、“楽観的”が何より大事」――大林宣彦が語る「理想の死のかたち」

映画監督・大林宣彦が語る「大往生」#1

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 孤独死、ポックリ、七転八倒!? 理想の“死のかたち”を14名に語ってもらった『私の大往生』(文春新書)が発売中。その中から映画監督・大林宣彦さんのインタビューを特別公開。

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大林宣彦 おおばやし・のぶひこ 1938年広島県生まれ。1977年、『HOUSE/ハウス』で劇場映画デビュー。故郷・尾道を舞台にした作品などで数多くの映画賞を受賞。2016年、肺がんで余命半年を宣告されたが、その後も映画を作り続けている。

クランクイン前日に余命半年の宣告

大林宣彦監督 ©山元茂樹/文藝春秋

――映画監督の大林宣彦さんが、肺がんの第4期で余命半年の宣告を受けたのは、2016年8月のこと。檀一雄の原作『花筐』(はながたみ)の映画化が決まり、撮影に入る直前のことだった。しかしその後、抗がん剤治療が効いて奇跡的に回復し、宣告から3年が過ぎた。

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大林 余命半年だと告知されたのは、クランクイン前日のことでした。僕は肺がんだと知り、ああ、これで映画を撮る資格が貰えた、ありがたいな、と思いました。

 僕は『花筐』をデビュー作にするつもりで、40年以上前に、代表作『火宅の人』を口述筆記していた晩年の檀一雄さんに会いに行って、映画化の許可を頂いていました。

『花筐』は、空想の街を舞台にした作品です。なので映画を撮る時にどこを舞台にすればいいか檀さんに聞くと、「唐津へ行ってご覧なさい」と言われました。

 でもその後、僕は映画化することができなかった。『花筐』は戦争世代の断念と覚悟が描かれています。平和ボケの戦後世代の僕に果たして作れるのか? と悩んでしまいましたし、戦争を忘れ経済成長に邁進している中で撮っても、何も伝わらないことも分かっていました。しかし、がんになってようやく、この映画が撮れると思いました。檀さんと同じ肺がんになり、映画を撮る資格を貰えたと思った。だから、がんを宣告されても落ち込みませんでした。