公務で全国津々浦々へ 外国訪問はアフリカや南米にまで
写真に残る紀子さま、ものすごく働いている。年に複数回の外国訪問はアフリカや南米にまで及び、全国津々浦々を公務で歩き、合間にお子さま方と「戦争」を学んだりしている。外国にいる時の方が服装も華やかで、笑顔も自然だ。06年、皇太子ご一家がオランダで静養された時、雅子さまと愛子さまが日本では見せないような笑顔だったことを思い出した。皇室という重荷。
紀子さまの表情を追うと、やはり悠仁さまの誕生以降、厳しくなっていると感じた。笑っていても、どこか緊張感がある。笑みであって笑みでない。そんな表情が目立つ。
子どもの成長を見守り、喜ぶ気持ちと隣り合わせで、紀子さまにはいつも「将来の天皇」を育てる重圧があるのだろう。そんなふうに思う。
美智子さまが民間から嫁ぎ、「開かれた皇室」への道をつけた昭和。平成になり雅子さまが病を得たことで、「幸せな天皇ご一家」では済まないことが明るみに出た。ストーリーが単純でなくなった不幸が、令和になり紀子さまの一身に集まっている。そんな紀子さまの現状を憤っているのは、林さんだけではないはずだ。
佳子さまがあえて述べられた「紀子さまと報道」
最後に、佳子さまのことを書きたい。
佳子さまは19年3月、国際基督教大学を卒業するにあたり、文書を発表された。宮内記者会からの質問に回答したものだ。その中で、姉である眞子さまと小室圭さんとの結婚について、「結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と答えられたことが話題になった。
佳子さまは、己の気持ちを率直に表明する女性だ。この文書では「(交際している)お相手はいらっしゃいますか」という質問に、「このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」と答えている。「プライバシーへの立ち入り無用」と読める。いいぞ、佳子さま。失礼ながら、そう言いたくなる。そんな女子だ。
20歳になった14年には記者会見に臨まれた。「ご家族について」と尋ねられ、佳子さまは紀子さまのことをこう述べられた。
「母は、週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが、娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます」
もっと当たり障りない答えもできる場面で、あえて紀子さまの報道のされ方を取り上げた。率直さの裏付けは、強さと正義感。そういう女性なのだろう。
世間は、紀子さまを消費している。皇室のさまざまな事情が重なり、そういうことになっている。
だが、ご家族に目を転じれば、紀子さまには佳子さまという凛々しい女性がついている。そして、佳子さまを育てたのは紀子さまだ。その事実は、決して揺るがない。