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「母にいじめられたことが原点」田嶋陽子78歳が明かす“私がフェミニストになった日”

フェミニズムの“パイオニア” 田嶋陽子さんインタビュー#1

2019/11/04

「女なんてメンスがきたら終わりだよ」

―― 中学校に入ってからは、勉強にスポーツに何でもできたそうですね。

田嶋 中学時代は、私のルネサンスでした。絵でも書道でも作文でも賞をもらって、テニスも沼津市(静岡県)で一番になりました。私のいた合唱団が優勝したこともあります。将来の夢は、母の病気のこともあって、お医者さんをしながら小説を書くことでした。でも、そんなときに、尊敬していた先生から「女なんてメンスがきたら終わりだよ」って言われた。

―― 学校の先生までが、そんなことを言うんですか。女の人は、そうやって翼を折られてきたんですね。

田嶋 結局、女は何者かになってはダメで、限りなく小さくかわいくなくちゃいけない。女の役目は、男の人のしもべになることなんですよ。だから、「小さく小さく女になあれ」と育てられる。そうやって親や教師の言葉にがんじがらめにされました。でも、そんなこと言ったって、でかいものは小さくならない(笑)。無理に小さくなろうとすると病気になる。

 高校は進学校に行きたかったんですが、進路を決めるころに私の初恋日記が父に見つかってしまった。そしたら、父の目の前で、日記を1枚1枚破って火鉢で燃やさせられました。

 

こんな色気づいた娘を男女共学にはやれない

―― えっ、自分の手で燃やしたんですか?

田嶋 そうですよ。挙句の果てに、親が学校の先生に相談して、こんな色気づいた娘を男女共学にはやれないというんで、高校は進学校ではない女子高に行かされました。そのとき、私の夢も死んだんですね。高校では、図書館に籠って本ばかり読んでました。そこで出会ったのが、社会運動家の神近市子さんや、日本女性で初めて国連代表になった藤田たきさん。神近市子が大杉栄を刺した話なんか痛快でしたね(笑)。

―― いわゆる「日陰茶屋事件」ですね。神近から経済的援助を受けていた大杉が、伊藤野枝とも恋愛関係になったことで、神近が大杉を刺して重傷を負わせた。

田嶋 社会主義だなんだと言ったって、すごく女性蔑視じゃないかと共感したんです。神近さんも藤田さんも津田塾卒だったので、私も津田塾に行くことにしました。