きょう3月26日は、ジャズピアニストの上原ひろみの誕生日である。昨年リリースしたアルバム『SPARK』は、全米ジャズチャートで1位となる快挙を達成した。さらにミュージシャンの矢野顕子と5年ぶりに共演、先日リリースしたライブ盤『ラーメンな女たち -LIVE IN TOKYO-』を携え、来月には全国ツアーを行なう予定だ。

ポートランドジャズフェスティバルにて ©林朋彦/文藝春秋

 1979年、楽器メーカーの集まる静岡県浜松市生まれ。6歳でピアノを始め、同時にヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ。小学6年のときには、学校の音楽会のため「おどるポンポコリン」をタンゴやビッグバンドジャズ風にアレンジし、3部構成の組曲に仕立て上げたという。デビューも華々しい。アメリカの名ジャズピアニスト、チック・コリアが来日した際、当時17歳だった彼女の演奏をたまたま見て驚愕し、急遽コンサートで共演することになったのだ。

 上原にはこのような“天才伝説”がつきまとうが、意外というべきか、本人は自分の信条として「努力、根性、気合」をあげている(神舘和典・白土恭子『上原ひろみ サマーレインの彼方』幻冬舎)。高卒後は東京の大学に在学しながら、アメリカへの留学資金を稼ぐため、ラーメン店や魚市場でバイトをした。英語の勉強もしなくてはと、家の近所の電機メーカーが社員向けに開いていた英会話教室に飛びこむ。こうして彼女はボストンのバークリー音楽院に入学した。CDデビューはその卒業間際、2003年のこと。

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©杉山秀樹/文藝春秋

 プロとなってからは、世界中を演奏でまわっている。海外での公演では、準備中にスタッフと、コミュニケーションの齟齬からぶつかることも少なくないという。それでもステージでは終始笑顔だ。これについて上原いわく「それまでにいろんな道中をくぐり抜けて、やっと勝ち取った二時間だもの、とことん楽しもう、という気持ちがあるんですよ。今日もここまで来られたっていう笑顔なんです」(阿川佐和子『阿川佐和子のこの人に会いたい9』文春文庫)。

 もし公演が自分の望む形にならなかったとしても、その旨を観客にはっきり伝え、スタッフの名前を挙げて感謝の念を述べつつ、もう一度ここに戻って完全な形でライブをしたいとの意思を示す。喧嘩したスタッフとも、最後はハグして別れるのだとか。そんな術を上原はいつしか身につけた。「体力と精神力は絶対に必要。どちらかが保てば、もう一方も保ちますから」とも言う。この言葉といい、あのパワフルな演奏といい、彼女はまるでピアノを武器に闘うアスリートのようでもある。

矢野顕子と ©林朋彦/文藝春秋