いまから10年前のきょう、2007年3月27日、コメディアンで俳優の植木等が80歳で亡くなった。戸籍上は1927(昭和2)年2月25日生まれだが、実際の誕生日は1926年12月25日、大正天皇崩御・昭和改元の当日である。

こつこつやる奴ぁごくろうさん ©文藝春秋

 父は浄土真宗の僧侶で、植木もそれを継ぐつもりで東洋大学で仏教を学ぶも、やがて音楽活動にのめりこむ。戦後、ジャズバンドを転々とした末、57年には「ハナ肇とクレージーキャッツ」に参加。クレージーキャッツは、61年に始まった日本テレビのバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』で人気が爆発する。同番組のコントで植木が口にした「およびでない? こりゃまた失礼いたしました!」などのギャグは流行した。翌62年には彼の歌う「スーダラ節」がヒット。さらに映画『ニッポン無責任時代』では、調子よく世の中を渡っていく無責任なサラリーマン「平均(たいらひとし)」を好演した。これら歌や映画を通じて、植木には明るいお調子者というイメージが定着していく。もっとも、本来はまじめな性格の彼にとって、こうした役柄は不本意なものであったらしい。

経済評論家・日下公人、作曲家・都倉俊一、経営学者・野田一夫、植木等、作詞家・阿久悠 ©文藝春秋

 70年代以降、個人での活動が中心となると、シリアスな役で映画や舞台に出演することも増えた。だが、その後、クレージーキャッツのリバイバルブームがたびたび起こる。90年には、植木は往年のクレージーソングをメドレーにした「スーダラ伝説」をリリースし、紅白歌合戦にも出場した。なお、クレージーソングの作詞や、『シャボン玉ホリデー』などの番組台本の多くは、のちの東京都知事・青島幸男が手がけた。青島は2006年12月に死去。その葬儀に参列したのが、植木が公に姿を見せた最後となる。

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1991年、集結したクレイジーキャッツのメンバー。左から安田伸、犬塚弘、ハナ肇、植木等、谷啓、桜井センリ ©共同通信社

 植木等といえばここ最近、ACジャパンが、2020年の東京オリンピックに向け「ライバルは、1964年」というキャッチフレーズのもとキャンペーンを展開中だ。そこでは前回の東京オリンピックが開催された高度成長期の象徴として、当時の植木等の写真が使われている。しかし筆者は、こういう形で植木が登場することにどうも違和感を覚えてしまう。

 そもそも植木演じる無責任男は、国民が一丸となって高度成長に突き進むなかで、一種のアンチテーゼとして生まれたものではなかったか。たとえば、作家の小林信彦は、植木主演の「無責任シリーズ」について「天皇が(戦争)責任をとらなかったために始まった、だれにも責任がないフシギな国のあり方へのメスとなったかもしれない」と評している(『日本の喜劇人』新潮文庫)。いや、ひょっとすると、五輪キャンペーンにおける植木等の起用は、新国立競技場やエンブレムのデザイン選定で浮き彫りとなった大会関係者の無責任体質を皮肉ってのことなのか。……何、そんなわけない? こりゃまた失礼いたしました!