浅草で「おにぎり君」の未来に思いを馳せる
球春到来。「文春野球」のファイターズコラム担当、えのきどいちろうです。開幕カードは埼玉西武戦ですね。ライオンズ担当・中川充四郎さん、ご無沙汰してます、よろしくお願いします。しびれる試合になるといいですね。
開幕目前、勝手知ったる浅草の街へ繰り出した。気分が浮かれている。亀十の行列。大提灯。外国人観光客。煙もくもくの香炉。赤い本堂。観音裏までまっすぐ突っ切って言問通りに出る。目指す店はそこにあった。
「おにぎり 浅草宿六」。
最近テレビで取り上げられて人が並んでいる。が、創業は昭和29年、昔から親しまれた店だ。僕は2017年シーズンをこの店から始める。
語りたいのは「おにぎり君」だ。背番号58、横尾俊建。WBCで中田翔が不在の期間、「ファースト」を務めた。慶大出身、2年目の右のスラッガー。今年のオープン戦で最も気を吐いたひとりが横尾だった。(中田不在で)チャンスをもらった今、何が何でも結果を出したい。がむしゃらな姿が胸を打った。20試合61打数22安打の.361(出塁率.420)は堂々オープン戦成績の打率3位である。中田がチームに戻ったオープン戦ラストのヤクルト戦でも、中田の「復帰即タイムリー」が注目を集めるなか、途中交代で入ってすぐセンター返しのヒットを放った。
僕が横尾に注目するのはファイターズの潜在力の象徴に思えるからだ。2016年シーズンは大谷翔平の「二刀流」が本格化し、ペナントレースでは11.5ゲーム差をはね返し、奇跡の優勝を遂げた。すべてがうまく行って、もうあれ以上、いいことなんか起きない気がする。まぁ、僕は栄光から遠かった東京時代からのハムファンで、「あれ以上はない」と言われたらうっかり納得しかねないところがあるんだけど。
だが、すべてがうまく行ったかというとそうではないと思うのだ。大谷が開花し、中田が魂を揺さぶり、レアードが寿司ポーズを連発するファイターズにも欠けているものがあった。そういえば余談だが、WBC1次ラウンドD組でもメキシコ代表の4番、レアードがホームランを放ち寿司ポーズを見せていた。国際映像で寿司ポーズを見ると思わなかったので嬉しかったのだ。たぶん他球団のファンのなかには寿司ポーズを「あんなことして何が楽しんだ……」と冷ややかに見つめている方がおられるだろう。僕も最初は戸惑いがあった。が、今は楽しくてしかたない。
昨季は不発に終わった“おにぎりポーズ”
が、全国区になった寿司ポーズの陰に、おにぎりポーズがあったことを知る人は少ないだろう。発端は去年の名護キャンプだ。韓国・起亜タイガースとの練習試合にルーキー・横尾俊建が「6番DH」で起用された。打席に入る前、ふとコーチャーズボックスの白井一幸コーチを見やった。と、何か大きめのものを握っている。横尾は意味がわからなかった。が、5回2死一、二塁の大事な場面だ。
それはいったん忘れることにして、無心でバットを振り抜いた。打球はレフト場外、東シナ海が目に鮮やかなビーチに消えていく。ダイヤモンドをまわっているところで白井コーチと目が合った。また何か握っている。レアードの寿司ポーズと違うのは、手がふんわり丸く使われている感じだ。おにぎりだ。白井さんはオレに「おにぎり握れ」のサインを出していた(!)。三塁ベースをまわったところで横尾も両手をふんわり丸く使って、おにぎりポーズを決めた。ベンチではチームメイトがおにぎりポーズで出迎える。ふっくら体型の横尾が「おにぎり君」としてデビューした瞬間だ。
ところがすべてがうまく行った2016年シーズンにあって、おにぎりポーズだけが不発に終わった。レアードはパ・リーグ本塁打王に輝き、寿司Tシャツまで発売される人気だったが、物販もおにぎりまでは手がまわらなかった。横尾のルーキーイヤーの1軍成績は10試合17打数2安打(.118)だ。ハムファンですら西武の「おかわり君」は知ってても、チームの「おにぎり君」は知らない人が多かった。
僕は来た。「おにぎり 浅草宿六」。何をしに? もちろん、おにぎりを握ってもらいに。宿六はおにぎり屋さんなんだけど、テイクアウト専門店ではない。白木のカウンターがあって、客はお茶をいただき、おしぼりで手を拭きながら「んー、今日は何握ってもらおうかな。じゃ、まずおかか!」なんて言えるのだ。僕の知るかぎり東京ではここと豊島区大塚「ぼんご」だけが実施している「カウンター注文方式」のおにぎり店だ。目の前で握ってくれる。その場で食べさせるから(型崩れ等)持ち運びを考えない。空気を包み込むようにふわっと握る。これが旨い。
野球に呼吸を合わせ、一喜一憂する日々が始まる。ファイターズのことばかり考えて暮らしていると色んなことが野球のネタになってくる。野球の試合はもちろん深くシリアスなものだが、一面で愛すべきネタの宝庫だ。だから生きてくつっかえ棒なのだ。去年はあくまでネタとして始まった「寿司ポーズ」「スシボーイ」が成長して、本塁打王のところまで行った。何が起きるのか、ネタを投入してそれがどう転じ、どう化けるかは誰にもわからない。
2017年シーズン、ファイターズは「F-AMBITIOUS(ファンビシャス)」をスローガンに掲げ、日本シリーズ連覇へ向けて走りだす。もちろんそれが本筋だ。僕も勝利を希望する。が、その一方で愛すべき野球のエッセンス、ネタをていねいに拾い上げていきたい。白井コーチの握る手つきの大きさを見逃したくない。何もかもが野球だ。早く「プレーボール!」の声を聞かせろ。
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※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。