“それ”は、石でできたゴミ箱のようなものに頭をかけて横たわっていた。手足がちょん切れた青い目の人形である。これは怖い。この人形、実は集落に元からあったものではなく、後から持ち込まれたものである可能性が高いらしいが、この峰を紹介するネット記事などでは決まって掲載されている。廃村の趣きを増すフォトジェニックな物体であるのは確かだ。
苔むした井戸に立派な石垣
杉林と化した集落一帯を歩き回っているうち、集落の構造がわかってきた。先の神社がその中心であり、その向かいに数軒の家屋があったのだろう。深緑色の水が貯まった、井戸の跡らしき石造物がいくつもある。
神社から向かって左側には学校の体育館ほどの広さの平坦な土地が広がっている。そこは、もしかしたら農作物が植えられた畑だったのかもしれない。その向こうは崖になっているが、木々が邪魔して遠望が利かない。下からかすかに、川の音が聞こえてきた。
神社の横と裏手には、大きな石垣がある場所が二か所あった。そこにも家があったのだろう、先ほどと同じような生活の痕跡が転がっている。石垣を作るくらいだから裕福だったはずだ。どちらかが集落のリーダーの家の跡かもしれない。
そこからなおも裏手の急斜面に、一面、コンクリートでできた壁があった。蛇口が一つついている。沢の水を一時貯めておいた貯水槽の一部ではないだろうか。すぐそばの草むらからは、紐で縛られた石を発見した。貯水槽の蓋の役割をしていた石かもしれない。
ここは森の中の桃源郷ではなかったか
集落の端から端まで、横およそ200メートル、縦は50メートルほどだろうか。その空間に、10軒ほどの家が点在していたようだ。
峰には1時間ほど滞在させてもらった。廃村というから、もっとおどろおどろしい場所を予測していたが、そうでなかった。片道1時間、決して楽ではない山道を登り切った先にあり、水や食料の確保などで苦労はあっただろうが、住むにはいい場所であると感じた。空をさえぎり鬱蒼と生い茂る杉がなかったら、晴れた日には日光がふんだんに降り注ぐ、森の中の桃源郷ではなかっただろうか。
半世紀ほど前には人々の暮らしが営まれていながら、今は無人の杉林と化しつつある不思議な空間。今後の再訪はあり得るのだろうか。思わぬ名残惜しさを感じながら、帰路に就く。復路は30分ほどで鳩ノ巣駅に到着したが、結局、誰一人、われわれとすれ違う人はいなかった。
撮影=文藝春秋
(#2へ続く)