先日、夢の国ツイッターランドでこんなプチ騒動があったのを皆さまご存知でしょうか。いわゆる「はあちゅう氏“私はライターじゃない作家だ”」論争。インターネットに生きる女子たちの永遠のアイコン、はあちゅうこと伊藤春香氏がとあるまとめサイトに「読モライター」(顔出ししている有名ライター、みたいな意味でしょうか)とくくられたことに反論、くだんの「ライターではなく作家」発言が飛び出しました。そこにプロインタビュアーの吉田豪氏が「ライター枠の人だと思います」と乗っかり、もうその後は「ライターとは何か」「作家とは」「肩書とは」と、ランドの人々がそれぞれ持論を展開するインターネットメリーゴーラウンド状態に。

本人ツイッターより

肩書きに投影されるセルフイメージ

 てか、この論争の面白さって、はあちゅうさんが作家かライターかということより、はあちゅうさん自身の「よくわからなさ」にあると思うんです。ウィキペディア先生によりますと、「大学在籍中にブログを立ち上げたことから女子大生カリスマブロガー・プロデューサーとして、講演、執筆、取材、広告出演などに携わる」「卒業旅行の際、企業からスポンサーを募り、タダで世界一周」「電通に入社」「催眠術師資格を保有」……と、かなりドリーミングな経歴をお持ちのはあちゅうさん。でも一般的には、正直何をしている人かよくわからない。その、正直なんだかよくわからない人が、正直なんだかよくわからない「ライター」「作家」を名乗るセルフイメージに、キレてるんですよ。もう何重にも意味がわからなくて、ラーメンズのコントを観ているよう。「非日常の中の日常」ってやつですね。とにかくすべてが超面白いので何を言っても蛇足にしかなりませんが、ではなぜはあちゅうさんは多くの人に批判・反論されながらも、自分を「作家」と位置づけたいのか、私なりに考えてみたいと思います。

ドリーミングな経歴とネーミングが起こす化学反応

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 私が人から「仕事は何?」と問われたら、おそらく「ライター」と答えるでしょう。別にそこにいい意味も悪い意味もなく、書くのが仕事だからです。書くのが仕事というのは(※主に私の場合)発注主様から「〇〇についてお書き」との命を受け「合点でやんす!!」と脊髄反射の二つ返事で自宅のダイニングテーブルに向かい、普段は全く思いもしないようなドイヒーなことを書く。時に泣きながら。それでようやくおぜぜをいただきます。でも、はあちゅうさんの場合、そんなことする必要ありません。たとえば恵比寿あたりのシャンデリアが玉すだれみたいになってるダイニング、座るとバフッとケツが沈むソファーでおしゃれで勝気な女たちとシャンパン飲みながら「いい男論」を語り合う。それだけでもう連載できそうじゃないですか。はあちゅうさんの「よくわからなさ」が、そのドリーミングな経歴とドリーミングなネーミングと化学反応を起こし、見事「よくわからないけどなんか有名っぽい人」というイメージを作り上げるからです。なんという、広告代理店的発想でしょうか。火のないところに煙を立たせるどころか、焼き網と肉とエバラ焼肉のたれまで用意してバーベキューやった気にさせるこの錬金術感……クリエイティブだわ。クリエイティブなはあちゅうさんはやっぱ“作家”っすわ。

「私はライターじゃない」と反論した本人のブログ