高度経済成長まっただ中の昭和35年には10679人が生活していた早川町。だが、町内にある西山ダムや雨畑ダム、さらに複数ある水力発電所の工事が終わると、人口はだんだんと減っていった。
今では高齢者が町民全体の約45%を占める。特に、若い世代の流出は深刻で、それに伴い町内の出生数も激減。1990年以降は出生数1桁台が続き、2018年にはこの10年で2回目の出生数ゼロを記録してしまった。
「このところの異常気象で、『陸の孤島』になる恐怖を感じる」
町内を歩くと、そんな声が聞こえてきた。隣町の国道に出るには、1本道の県道を下るしかない。しかし、連続70ミリの規制雨量を超えると、その県道も全線で通行止めになってしまうのだ。町には急峻な斜面も多いため、今年10月の台風19号でも土砂崩れで複数の集落への道路が寸断され、80代の女性住民が山梨県の防災ヘリに救助される事態まで発生した。
運動会は老人ばかりで踊る
「本当に子どもを見なくなりました。私が生まれた頃は、この集落にも50軒くらい家があって、総勢で200人くらいは暮らしていました。子どもの夜泣きも聞こえたし、小さい子が駆け回っているのもよく見ましたよ。周りみんなが親戚みたいで、何でも一緒にしていました。今では20軒も残っていません。それも老人ばかりです」
町の社交場のひとつ、市民が通う温泉施設の番頭に立つ深沢和子さん(79)は、寂しそうにそう語った。生まれも育ちも早川町だったという彼女は、子どもと聞くと、集落の運動会を思い出すという。
「昔は子どもたちがたくさんいたから、駆けっこしたりしていたんですよ。今でも運動会は続けていますが、老人ばかりなので、朝はグラウンドゴルフ、午後は豚汁を作ってみんなで食べて、昔から伝わっている踊りをするんです」