月に3度ほどあるお寺の会合で、集落の友人と語らうのが楽しみだと語る深沢さんは、この生活がいつまでできるか不安だと打ち明ける。
「私には3人の娘がいて、孫も6人いますが、誰もこの町に住んでいません。『働くところがない』『進学先がない』と言って、町を出て、町の外で結婚した。甲府や山梨で生まれた孫世代はそのまま市内で就職したり、県外に出て行く子もいるでしょう。集落の年寄りもだんだん亡くなっていて、この先どうなってしまうのか……」
「じきに墓の場所を知る人もいなくなる」
「荒れたお墓も多く、お盆になっても人が帰ってこなくなっている。じきに、墓の場所を知っている人さえいなくなってしまうんでしょうね」
この町で生まれ、周りにお店一つない県道沿いでガソリンスタンドを経営する辻育久さん(72)は、自嘲するようにいった。
「私が小さいときは林業が盛んで、中学にあがる頃には東京電力の仕事やダムの工事があった。今と違って工事となれば作業員も家族みんなで引っ越してきたから、町民もどんどん増えた。この辺りは町でも一番華やかで、映画館やパチンコ屋が立ち並んでいたんですよ。キャバレーもあれば金髪のおねえさんもいて、歓楽街は深夜まで賑やかでした。
それが、外国から木材が輸入されるようになって林業がダメになり、発電所の無人化で町から職場がなくなっていった。今では夕暮れを過ぎれば誰も歩いていません。給油も町外の車が多くなりました」
町で一番賑やかだったというこの集落も、今ではほとんど空き家だ。
「今や人よりもシカやサルを見かけることの方が多いですよ(笑)。町に高校がないので、子どもが高校に上がると、甲府にも家を持って平日は家族で住み、週末だけ早川に帰る人が多かったんです。
でも、高齢化が進んでこのところは寒い冬にわざわざ帰ってくる人も減っています。あと20年して、いまの住民もたまに帰ってくる人も亡くなったら、どうなるんでしょうか」