去る4月19日、複数のスポーツ紙が元阪神の赤星憲広氏に関するニュースを報じた。なんでも赤星氏はサッポロビールの社会貢献活動『飲んで応援! 赤星キャンペーン』の寄付金贈呈式に出席した際、指導者として阪神に復帰することについて「いつでもそういう機会があればと思ってます」(同日付デイリースポーツ)と発言したという。また、同氏は「金本監督になるときに(コーチの)お話をいただいた1人でしたが、状態がよくない時期でした」(カッコ内は筆者注)という具体的なエピソードも明かしていた。
もちろん、これにはリップサービスも少しは含まれているのだろうが、それでも虎党の私としては無性に興奮してしまった。実現するかどうかはともかく、あの赤星(以下、敬称略)が阪神に戻ってくることを想像したら、それだけで胸がざわついたのだ。
球界最高峰のスピードスターの壮絶な引退劇
ご存知のとおり、赤星は2000年代の阪神を代表するスタープレーヤーの一人だった。ルーキーイヤーの01年に打率.292、39盗塁で新人王と盗塁王をダブル獲得すると、以降はセ・リーグ記録となる5年連続盗塁王。中でも03年~05年までは3年連続で3割60盗塁以上を記録するなど、まさに球界最高峰のスピードスターだった。
投手のクイック技術が向上した現代プロ野球において、3年連続60盗塁以上は本当に驚異的な数字だ。近年、スピードスターと称えられた選手は数多く出現したが、虎党の贔屓目を差し引いても、赤星の速さは飛び抜けていた。小さなレッドスターは近年の球界で誰よりも速く、誰よりも走る勇気があって、誰よりも投手のクセへの洞察力があった。
また、外野守備では現役9年間で6回のゴールデングラブ賞を獲得。さらに入団当初は非力だと評されていた打撃でも、現役9年間で5回も3割以上を記録。赤星は決して速いだけの選手ではなかった。守備の名手でもあり、安打製造機でもあった。
だから、そんな赤星に次代のスピードスターを育成してもらいたいと思うのは、虎党として自然なことだろう。もちろん、「名選手が必ずしも名指導者になるとは限らない」という球界の定説は理解しているつもりだが、それでも彼については気持ちのほうが先に昂ぶってしまう。指導者としての適性やコーチングについての勉強歴がどうかなど、そういう正論を振りかざして是非を吟味する前に、どうしても抑えられない感情論がある。
それはやっぱり、赤星があんなかたちで甲子園を去ってしまったからだ。
今から7年以上も前、2009年の12月。頸椎椎間板ヘルニアと中心性脊髄損傷という大怪我によって、赤星は33歳の若さで現役引退を発表した。その前年は全144試合に出場して打率.317、41盗塁という素晴らしい成績を残しているのだから、それからわずか1年後にユニホームを脱ぐなんて、いったい誰が想像できようか。
引退の直接的な引き金となったのは、同年9月の対横浜戦で試みたダイビングキャッチだ。あの衝撃により、かねてからの故障を一気に悪化させた赤星は、甲子園の右中間でしばらく動けなくなり、トレーナーに背負われたままグラウンドを去った。
そして、引退会見で本人が発した「今度やったら不随になるかもしれないし、最悪命を落とすかもしれない」という言葉。「グラウンドで死ねれば本望というが、そう思えない自分もいた」という言葉。どれもこれも本当にショッキングだった。これまで数多くの名選手がさまざまな引退の言葉を残したが、赤星のそれは誰よりも重かった。
再び物語は動き出すのか
私は今でも思う。あんな辞め方ってあるだろうか。
ダイビングキャッチを試みたあと、甲子園の右中間に倒れ込んだままの背番号53。トレーナーに背負われながら、苦痛に顔を歪めたままの背番号53。あの凄惨な退場シーンこそが、赤星が公式戦で見せた最後のユニホーム姿だったのだ。引退試合をしなかった彼にとって、あれこそが全国の虎党との別れのシーンでもあったのだ。
赤星は野球人生を十分にまっとうして引退したのではなく、華やかなトッププレーヤーのまま、いつもの全力プレーの果てに、慣れ親しんだ甲子園で壮絶にはじけ散った。現役生活はわずか9年。誰よりも速かった赤星は、プロ野球人生さえも疾風のような速さで駆け抜けた。繰り返すが、あんな辞め方ってあるだろうか。
かくして、私の頭の中にある赤星の残像とは、それはもう全盛期の驚異的なスピードのままなのだ。類型的な引退への道のりを見届けていないからこそ、赤星の物語はキラキラと輝いたまま、強引に終了の幕を下ろされたような、そんな気持ち悪さを帯びている。
また、阪神球団から引退勧告に近い言葉があっただとか、それによって阪神球団との確執が生まれただとか、赤星の引退についてはさまざまな話が飛び交っており、それもまた気持ち悪さに拍車をかける。赤星の物語はそういう消化不良がいくつも残されたまま、満足に完結するどころか終章すら描かれることもなく、途中で強制終了されたのだ。
だから、赤星が指導者として阪神に復帰するということは、ただのコーチ人事という意味だけにとどまらない。消化不良のまま強制終了された彼の物語を再び動かし、そこにきちんと決着をつけるという、文脈的な要素も含んでいる。球団社長が代わり、監督やコーチ陣にはかつてのチームメイトが顔をそろえるなど、今の阪神はあのころとは別のチームになった。赤星の体調さえ問題ないなら、どうか甲子園に戻ってきてほしい。評論家活動も順調そうだから、いろいろと難しい問題もあるのかもしれないが、もし赤星が再び縦縞のユニホームを着るのなら、止まったままの時計の針が動き始めるだろう。
赤星とタイガースの物語はまだ終わっていない。終わらせてはいけない。
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