4月23日の第一回投票で、11人いた候補者がエマニュエル・マクロンとマリーヌ・ル・ペンの2人に絞られたフランス大統領選。Front National(国民戦線、極右)率いるル・ペンの脅威ばかりが喧伝されるものの、じつは第二回投票の事前調査では相手が誰であれ、ル・ペンが大統領になれる可能性はずっとゼロだった。というのも第一回投票の落選者のほとんどは「共和国」の名の下、第二回投票では反・極右に回るため、ル・ペンの対抗陣営に票が流れる。よってマクロンvsル・ペンはおよそ60% vs 40%と予想され、第8代フランス第五共和制大統領エマニュエル・マクロンはほぼ確定だ。

 5月7日の第二回投票が消化試合というわけではないが、天王山は決選投票に先立つ5月3日水曜夜、候補者同士のTV討論といえる。日本ではよく「劇場型政治」というが、かの地の政治家対決には元より、弁舌を携えてスタジアムに放り込まれた剣闘士のようなところがある。権力や体制転覆に繋がる暴力がタブー視される第五共和制の裏返しなのか、弁舌を武器に倒されては起き上がるヒーロー像は崇められ、決選投票前のTV討論では数々の名勝負・珍勝負が繰り広げられてきた。

父親を除名処分にしたル・ペン

名うての論客として評価されるル・ペン氏 ©共同通信社

 2011年に国民戦線の党首に就いたル・ペンにとっては、将来の大統領と一対一の議論の場に出られるだけで大躍進だ。約40年前、マリーヌ・ル・ペンは8歳の頃に国民戦線の創設者で実父であるジャン=マリ・ル・ペンへの憎悪から自宅が爆破され、寝室をガラスの破片だらけにされたこともある。18歳で党員となり、法律を学んで公選弁護士として短いキャリアを過ごした彼女は、よく国外では世襲で党首を継いだと勘違いされているが、じつは数々の党内抗争を乗り越え党代表を勝ち取った、名うての論客だ。反ユダヤ主義などを封じてソフト路線に転じた党戦略と相容れなかった父は、2015年に娘に除名されたが、彼女の達者な弁舌は父親譲りなのだ。

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 その父が2002年大統領選で決選投票に進んだ時、現職候補のジャック・シラクは極右の代表と交渉は一切もたないと、TV討論を公然と拒否してみせ、それでも決選投票では82.2%を得て再選された。15年前は、人種差別や排外主義を唱える勢力を、大統領選という公職中の公職を巡る場で人並み扱いしたら、共和制の然るべき品位にもとる、そういうコンセンサスだったのだ。

TV討論の実現は、極右支持者拡大の裏返し

 すでにエマニュエル・マクロンは、極右はフランス共和国の価値観と相容れないと前置きしつつ、TV討論を受けると意思表示した。確かに今、シラクと同じことをしたら、国民の分断を加速させてしまうだろう。マクロンは西部や南西部、パリで1位通過したが、北東部と南仏ではル・ペンが強い傾向がある。極右の支持者が増えただけでなく、フランスの六角形の領土を北西から南東にかけて真っ二つに袈裟がけにするほど、鮮明な地域差があることも問題なのだ。