5月29日で生誕80年を迎える“昭和の歌姫”美空ひばりさん。

 この節目に、ひばりさんの息子で、ひばりプロダクション社長の加藤和也さん(46)が「文藝春秋」のインタビューに応じた。幼少期の家族の思い出から、ひばりさんの弟でもある父親への想い、母との最期の日々まで、一人の家族としての「美空ひばり」を赤裸々に語っている。

貴重な家族写真。右から2人目が和也氏(1978年撮影) ©文藝春秋

 外出時は「どの瞬間もイメージを崩してはいけない」という使命感を持っていたというひばりさんだが、家庭人としては「まるで別人」。自宅では「パジャマの人」だったと和也さんは語る。

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「すっぴんで、ヘアバンドで髪をまとめて、ガウンを羽織る。常にその格好で過ごしていました。家事はせず、すべてをお手伝いさんに任せている状況でした」

伝説の不死鳥コンサート ©共同通信社

 幼少期から巡業先の楽屋を遊び場に育った和也さん。普通の母親らしいことをしてもらいえないことに、不満はなかったという。

「子どもながらに、母親の仕事がどういったもので、いかに家事を求めることも酷なスケジュールで動いているか、理解していたんだと思います」

 父・哲也さんへの想いも語っている。哲也さんが手掛けたコンサートがセットリストから演出まで素晴らしかったこと、音楽家としても『人生一路』を作曲するなど才能があったこと――。和也さんは、「余計なことさえしなければ、芸事に向いている人だったのに(笑)」と口にした。

 余計なこととは、つまり哲也さんが暴力団組員として逮捕歴があったことを指すのだろう。それが表面化した1973年、ひばりさん一家は世間から大バッシングを受けることになる。和也さんはその後、1977年にひばりさんと養子縁組する。

 しかし、そんな一家をめぐる事実も〈僕らは隠しません〉と、和也さんは語る。

「当時は、いわゆる裏社会の方たちとのお付き合いなくして、興行を打つことはできなかった。(略)現在ならば黒い交際として問題となりますが、美空ひばりの歴史に嘘はつけません。そういうお付き合いを隠蔽しようとすると、美空ひばり像がとても歪なものになってしまう」

 そのほか、ひばりさんと二人でハワイに滞在した一か月の思い出、亡くなる直前に受け取った手紙の中身などを詳細に語った和也さん。インタビュー全文は5月10日発売の「文藝春秋」6月号に掲載される。


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2017年5月10日 発売

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