かねてから仕事でお世話になっていた大学の先輩が、急に退職と独立の連絡を入れてきて、なぜ急に? と思ったら役職定年だというのですよ。それまで長く勤め上げた会社を離れるのは忍びないのだろうと思っていたところ、サバサバした雰囲気で嘱託やヒラ社員での再雇用を断ったとのこと。そうですか。でも、彼みたいな現場も業界の流れも知り尽くした人が会社を去るというのは、本人にとっても組織にとっても痛いんじゃないかと感じます。
もちろん、世の中にはどうしようもない50代というのもいて、会社の看板で仕事して、部下引き連れて飲み食いして飲みニケーションだと勢いづいていた人たちが、その会社がおかしくなったり、肩叩かれたりして会社を去ってみると、汐の引くように人垣がなくなったりするのですよ。友人が新しくビジネスを始めたというのでそのシェアオフィスやレンタルオフィスに足を向けてみると、どこにも就職できなかった人たちが昔の勤め先で培った人脈を生かした一人営業会社を立ち上げて、一人大声で電話をしている光景を目の当たりにし、人生に流れる時間の残酷さというものをひしひしと感じるわけであります。
人柄が大きく50代の生きざまに投影されている気がします
会社を辞めて一人になると寂しいのか、突然自分語りのブログを立ち上げてみたり、Facebookでウザい投稿が激増したり、果ては理由をつけて宴会を催そうとして誰彼構わず誘ってみたりといった暴挙に打って出ます。いや、そういう人たちを決して嫌っているわけではないんですけれども、いい歳をしたおっさんが武勇伝を語りに、あるいは個人的な営業目的で人を誘うにしても誘い方というものがあるだろうと思うわけですよ。こっちだって介護や子育てに奔走しているとき、本当にリラックスして知的な会話のできる限られた友人との席ですら数か月に一度持てるかどうかっていう日々を送っているわけです。
50代を、ビジネスの観点で見るならば「その企業での実績」ではなく「相手の立場に立った行動ができていたか」じゃないかと思うぐらいに、企業対企業の中や、外で見てきた人柄が大きく生きざまに投影されている気がします。独立するのに部下がついてこない人、それなりに企業では要職にあって欠かさざる能力を発揮したのに解雇される人、こういう負けていく人たちはその履歴書だけでなく、人柄のところに引っかかるところがないため、辞めるとなったときどこからもお声がかからないのだろうと感じます。