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「民俗学といえば妖怪、夜這いでしょ?」民俗学者が悩む“風評被害”

2020/01/17
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 民俗とは、平たくいえば私たちの日常にある習慣/慣習といった伝承的知識の総体である。ただし、「民俗」という語感から想起されるものは、そのうち「古き良き時代」を幻視できる文化財的な価値観ではなかろうか。

 妖怪も、少なくとも悪いものではないだろうから、そのような表象の拘束下にあるとみてよい。私の不用意なツイートに反感を示した人たちは、「古き良き日本」を象徴し、自らが愛好するキャラクターまでも批判されたと受け取ったのかもしれない。あるいは、妖怪を「夜這い」と並記したことに、えもいわれぬ屈辱感を抱いたのだろうか。 

葛飾北斎が描いた「笑ひはんにや」 『北斎妖怪百景』より

 だが、民俗を総じて良いもの=「醇風美俗」のように捉えるのは危険である。 

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 たとえば、件の「夜這い」や「嫁盗み」などの民俗慣行にしても、かつて日本各地で広く行なわれていたものだが、今日の感覚では刑法犯罪ともとられかねない事象である。しかし、これが民俗学的言説にかかると「昔の日本人の性は開放的で、大らかだった」というようなポジティブな物言いにすり替わってしまうのである。 

 とくに「夜這い」については、仕掛けられる女性の側に諾否の権利があったのかどうか疑わしい点も多く、その実態は「自由恋愛」などといった近代的なイメージとはほど遠く、私の感覚では開放的というよりも陰惨であり、加えてその伝承の語り口は、多分に男性目線的である。 

 このように、民俗の細部にある矛盾や差別を十分に検証しないまま、これを民俗学者が明るく語ることへの批判は、比較文学者の小谷野敦氏らからも出されている(小谷野『改訂新版 江戸幻想批判-「江戸の性愛」礼讃論を撃つ』新曜社)。しかし、民俗学内部の反応は皆無に等しく、むしろ似たような価値観の人たちのみが結集する「親密圏」へと没入しているかのように私には映る。 

同調圧力を認めてしまいかねない言説も

 また、民俗的価値観が同調圧力を惹起し、弱者をさらに苦しめる可能性もある。 

『仏教民俗学』(講談社学術文庫)などの著書があり、国立歴史民俗博物館教授も務めた宗教学者の山折哲雄氏は、会社内でハラスメントを受けた被害者が内部告発することを、日本的美風に反した「裏切り行為」だとして批判している(山折「正義の名による『裏切り行為』である」『中央公論』117巻6号)。要するに、組織や社会の秩序維持のためには、たとえ不当な扱いを受けても、内々での解決を目指すことが、民俗的価値観に照らして正しい態度だというわけだ。 

©iStock.com

 こうした主張は、つい先日、自らの性被害を公表して裁判に臨み、一審勝訴の判決を獲得した伊藤詩織さんに対する世間の過剰なバッシングと同根といえるのではないか。つまり民俗学的言説には、そうした風潮にお墨付きを与えかねない危うさが含まれているのである。