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日本民俗学の創始者・柳田国男が指摘したこと

 日本民俗学の創始者・柳田国男(1875-1962)は、民俗が、時に人間の尊厳や自由を抑圧する可能性があることを指摘し、その現状把握のために民俗学の体系化を企図したとみられる。そして人々に対しては、民俗の良し悪しを自分の頭で考え、その改廃を含め自ら判断することを求めた。この点、柳田の学問構想には啓蒙主義的な面があったといえるが、後学の私たちは、民俗=伝承的知識に基づく価値観を全的に肯定し、これにすべてを預けてしまうのではなく、個々の民俗が本当に良いものなのかどうかを不断に検証していくべきなのだ。 

 そうした実践のありようを敢えて表象するならば、権威や権力、伝統や前例に無条件にひれ伏してしまう「事大主義」に対して「反・事大主義」 とするのが正確であり、少なくとも私はこの立場である。 

柳田国男 ©時事通信社

 ところが、現行の民俗学では、民俗の良い面ばかりが注目され、それが民俗学全体のイメージ形成に寄与し、さらにはマニアや愛好家たちをも巻き込んで「親密圏」が広がっている。

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 そして民俗=良いものという前提が存在しているがために、そのイメージに異論を差し挟み、「風評被害」という強い表現でこれを評した私に対して、「親密圏」の成員たちが感情的反発を示したのが、件の炎上騒動の本質であったと思う。とくにマニアにとって、妖怪を云々することが「学問」であるということ自体が、自らの嗜好を高尚なものへと引き上げ、その自尊心を満たしてくれるステイタスシンボルだろうし、「親密圏」の中心に研究者がいることは、何よりも心強かろう。  

 なお、柳田国男の生涯最後となった講演は「日本民俗学の頽廃を悲しむ」という衝撃的な演題であったが、そこには、「珍談、奇談」を弄ぶばかりで現実政治や社会的な問題に無関心な民俗学者に対する、柳田の苛立ちと絶望が込められていた。その点では、ネット空間の「親密圏」に閉じこもる研究者が「民俗学=柳田国男というイメージこそ『風評被害』」だと述べたことは、確かに一理ある。