きょう5月24日は、去る2月13日に93歳で亡くなった映画監督・鈴木清順の誕生日である。東京・日本橋生まれ。食い初めの日に関東大震災(1923年9月1日)が起こったという。

 鈴木は、松竹から日活に移籍して3年目の1956年、『港の乾杯・勝利をわが手に』で監督デビューして以来、13年間に40本もの映画を手がける。『けんかえれじい』(1966年)や『殺しの烙印』(1967年)など華麗な映像美と斬新な表現による鈴木の作品は、一部ファンから熱烈な支持を集めた。しかし1968年、社長の「わからない映画をつくる監督である」との一言で突如として日活を解雇された。以後、一時不遇を託つも、『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)で復活。監督としてふたたび注目される一方で、前後して自らテレビドラマやCMなどに出演するようになり、お茶の間にも知られた。白髭をたくわえた飄々としたキャラクターから、『ツィゴイネルワイゼン』公開後のグラビア記事では「不良仙人」と称されている(『週刊文春』1981年2月12日号)。このとき鈴木はまだ還暦前、57歳だった。

煙草をくわえる鈴木清順さん(当時78歳) ©山本雷太/文藝春秋

 なお、弟は元NHKアナウンサーの鈴木健二である。痩身の兄・清順に対し、6歳下の弟の健二は恰幅がよく、いかにも対照的だ。兄弟に言わせると、これはどうやら少年時代からの食べ物の違いらしい。芋の煮っころがしなどが好きな兄に対し、弟はトンカツやご飯にソースをどぼどぼかけて食べていた。休日に外食をしても、兄と母の「あっさり組」、弟と父の「こってり組」に分かれたとか(『文藝春秋』1999年9月号)。性格も対照的で、それも戦争を契機に、おしゃべり好きだった兄は物静かに、人見知りだった弟は活動的に激変したという。それでも兄弟には似たところもあったらしい。弟は、紅白歌合戦の司会を務めたとき、出場歌手ごとに眼鏡と衣装を変えて登場、「それは兄の飛躍するカットの技法に近いかもしれない」とのちに振り返っている(『文藝春秋』2009年8月号)。