「さまざまなメディアから熊沢さんに関するコメントを求められたが、ぼくは黙して語らずの姿勢を貫いてきた。黙ってじっと静かに見つめ続けるのも、友情だと考えるからです」
月刊誌「財界さっぽろ」の取材に、元自民党幹事長の武部勤氏は、盟友への思いを初めて明かした。
「人物的には“特A”だった」
昨年6月1日午後3時15分ごろ、76歳の父親が東京・練馬区の自宅で44歳の長男を包丁で刺殺した。この殺人事件を起こした人物の氏名、経歴が明らかになると、各方面に衝撃が走った。農林水産省で事務次官を務めた熊沢英昭被告だったからだ。
熊沢被告は東大法学部卒。1967年に農水省に入省し、2001年に事務次官に就任。BSE(牛海綿状脳症)問題では批判の矢面に立たざるを得なかったが、次官退任後は農協共済総合研究所理事長、全国米穀取引・価格形成センター会長、チェコ大使(2005年~08年)などを歴任した。
昨年12月に言い渡された東京地裁の判決は、懲役6年。その後、熊沢被告は保釈となり、執行猶予を求め控訴中だ。
その熊沢被告が農水事務次官時代、“上司”として仕えていたのが農水相だった武部勤氏だ。
武部氏は「ぼくの知る熊沢さんは本当に仕事もできるし、人間としても素晴らしい男。人物的には“特A”だった」と振り返る。
奥さんと仲むつまじく接してくれた
その上で、BSE問題の際の舞台裏、チェコ大使就任時の総理だった小泉純一郎氏との関係性などを明かしている。
「彼がチェコのプラハにいたとき、妻と一緒に会いに行った。林幹雄さんも一緒だったと思う。熊沢さんと奥さんが仲むつまじく接してくれたことが、昨日のことのように思い出される」(武部氏)
上記のインタビュー記事が掲載されている「財界さっぽろ」2月号(1月14日発売)は、北海道内の書店、コンビニ、Amazonで好評発売中。パソコン、スマホで手軽に読める「財界さっぽろ」デジタル版は、公式ホームページから購入可能だ。