いまから100年前のきょう、1917年5月29日、アメリカ・ボストン郊外に住むジョゼフ・ケネディ夫妻のあいだに次男が誕生した。この子こそ、のちに合衆国の第35代大統領(1961~63年)を務めることになるジョン・フィッツジェラルド・ケネディである。

女性関係は派手、マリリン・モンローとの関係が噂されたジョン・F・ケネディ ©getty

 ジョンの父ジョゼフはアイルランド移民3世のカトリック教徒であり、アメリカ社会では少数派に属した。それだけに、彼は社会に認められるべく努力を重ね、ボストンで銀行家として成功を収める。1914年に結婚したローズは、同じくアイルランド系のボストン市長の娘だった。しかしボストンの支配階級はジョゼフを受け入れようとせず、彼はけっきょく家族を連れて、より開かれたニューヨークに移住している。それは1927年、ジョンが10歳のときだった。

 ニューヨークにおいてジョゼフは映画会社を買収し、会長兼社長になると、登場したばかりのトーキーをさっそく導入して、大衆の心をとらえた。これについてアメリカ史研究者の松尾弌之は次のように書いている。

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「ニューイングランドのエスタブリッシュメントからのけ者になりながら、ケネディの父親は20年代のアメリカ文化の大衆化の流れに見事に乗って見せた。それが彼の成功につながった。そしてこの成功のパターンは、大統領になるジョン・ケネディが踏襲することになる。ジョンは50年代になってテレビを用いて大衆と対話をもち、大統領の座を射とめるからである。いわば彼は父親の生きざまの忠実な模倣者であった」(松尾弌之『JFK――大統領の神話と実像』ちくま新書)

 のちに駐英大使も務め、名実ともにエスタブリッシュメントの仲間入りをはたしたジョゼフは、経営する映画会社のスター女優だったグロリア・スワンソンを愛人にしていた。後年、大統領となったジョンもまた派手な女性関係で知られ、女優のマリリン・モンローとも関係が噂された。その点でも彼は「父親の忠実な模倣者」だったようだ。