私の大学卒業公演ミュージカルを見にきてくれた福澤君
―― 当時のフジテレビのイメージってどんなものでしたか?
八木 フジテレビのイメージは、楽しくて元気っていうイメージ。「ひょうきんアナウンサー」のイメージが強いから、「ひょうきんアナとかになっちゃったりして」みたいなことを、みんながあり得ないこととして言うみたいな感じでした。
局全体のカラーで言ったら、試験を受けていろんなOG訪問とかをしている時に、「日テレ向きだね」ってよく言われたんですよ。フジテレビは、例えば長野智子さんみたいな、楽しくてたくましいイメージがあったから、確かにフジテレビ向きじゃないって思った記憶はありましたね。あんまり元気もなかったし(笑)。日テレは真面目できっちりしてるイメージ。あくまでアナウンサーのイメージですけど。
―― ミュージカルの道に進もうというのはなかったんですか?
八木 ないです、ないです! 友達に誘われてミュージカル研究会に入って、2年楽しく過ごしたんですけど、その結果分かったことは、音痴で体が硬いっていうこと(笑)。だから、プロにはちょっと程遠い。だけど、趣味で続けていけたらなっていう思いはありました。
―― 実際、舞台にも立たれたんですか?
八木 在学中は。1年目、2年目と、卒業公演で。3年の時は心理学専修で、心理学科が結構忙しくて出られなくて。早稲田って演劇研究会はそうそうたる人がいっぱい出てるんですよ。第三舞台が当時一番華やかだった時代。そういう主流の人たちからするとお遊びサークル的ではあったんですけど、それでも公演前になると1カ月とか授業を休まなくちゃいけなくて。「あなた、授業に出るの?」みたいな。授業に出る時は申請してサークルを休む。なんか逆なんじゃないかなっていう(笑)。
―― 同期の福澤朗さんも演劇をやられてましたよね?
八木 彼はもうサークルどころか、「演劇集団 円」でプロの世界に足を踏み入れてたんじゃないですかね。
―― もうその頃知り合っていたんですか?
八木 就職活動で知り合って。福澤君も日テレとフジを受けてて。日テレの試験の時にはもう会ってたと思うんですけど。で、フジの試験の途中で日テレに彼は受かって、遠くに(笑)。逆に私は日テレに落ちて、フジの試験の最中に面接官に「落ちてしまいました」って号泣するっていう。でも、交流はあって卒業公演とか見にきてくれましたよ。今思うと、「円」だった人がよくあんなひどい舞台を見にきてくれたなっていうか、見させちゃったなって思うけど。彼の記憶から消し去りたい(笑)。