プロ野球・広島東洋カープの衣笠祥雄が、2131試合連続出場を達成し、米メジャーリーグのルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の記録を抜いたのは、いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年6月13日のことだった。
この日、広島市民球場での対中日ドラゴンズ戦、5回が終わり試合が成立すると、衣笠はひとりマウンドに向かい、2万5000人の観衆に両手を挙げて応えると、深々と頭を下げた。外野スタンドには人文字で「2131」がつくられ、偉業を讃えた。試合はこのあと、当の衣笠のホームランで広島が1点差に迫るも、結局8-3で敗れている。試合終了後のセレモニーで衣笠は「私に野球を与えてくれた神様に感謝します」とあいさつした。
衣笠の記録は、広島に入団して6年目、1970年10月19日の巨人戦より始まった。80年には1246試合連続出場の日本記録を更新。しかもこの間、74年4月17日から79年5月27日までの678試合は、全イニング連続出場だった。なかにはけがを押して出た試合もある。なぜ、彼はそこまでして出場し続けたのか。日本記録達成時に「やはり記録のためですか」と作家の海老沢泰久から訊かれた彼は次のように答えている。
「記録を意識する前から同じようなことはしていたんだから、そのためばかりじゃないと思うね。ぼくはいつ交代させられるか分らないという危機感と、自分のポジションというのは絶対に離しちゃいけないという感覚の二つをいつも持っている。これがぼくの野球をいつも支えてきたんです。だから怪我しようが何しようが、自分で休みたいと思わないんなら、出ればいいと思うんだね」(文藝春秋編『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史 第3巻』文藝春秋)
それから7年後、衣笠はメジャー記録を上回り、政府より国民栄誉賞も贈られた。同シーズンかぎりで現役を引退したものの、連続出場回数は2215まで伸ばしている。
衣笠がゲーリッグの記録を塗り替えたとき、メジャーリーグの現役選手ではカル・リプケン(オリオールズ)が試合出場を続けていた。このとき「私の記録など、キヌガサ・アイアンマン(鉄人)の三分の一ちょっとにしか及ばない」(『毎日新聞』1987年6月14日付)とのメッセージを寄せたリプケンだが、その後も記録を伸ばし続ける。“アイアンマン”を祝福した9年後の奇しくも同日、1996年6月13日の対ロイヤルズ戦で、リプケンはついに衣笠の記録に追いつき、翌14日にはそれを上回る2216回目の試合出場を果たした。自身の記録が更新されるにあたり、衣笠は2日続けて球場に招かれ、今度は逆にリプケンを祝福している。なお、リプケンの記録は1998年9月19日まで続き、2632試合に達した。