きょう6月16日は「カントク」こと映画監督の山本晋也の誕生日である。1939(昭和14)年生まれだから、78歳。本名は伊藤直(ただし)という。

山本晋也カントク ©原田達夫/文藝春秋

 日本大学藝術学部在学中よりテレビ局でAD(アシスタントディレクター)のバイトを始め、やがて「ピンク映画」と呼ばれる成人映画の世界に足を踏み入れる。山本は初めての撮影現場で見た女優の体に神々しさを感じ、この世界で生きていくことを決めたという。助監督から監督に昇進したのは1965年、25歳のとき。以来、あるスタッフの母親につけてもらったという山本晋也の名で、『未亡人下宿』シリーズなど250本あまりの作品を手がけている。

 1980年代にはテレビの深夜番組『トゥナイト』でレポーターとして活躍、とりわけ風俗ルポは評判を呼んだ。山本はそこで会う人たちを「異常」とか「変態」とは呼びたくなかった。相手は愛すべき、最高な人々であり、奇妙で常識を逸脱していて面白い。それをどう表現するか考えた末、口から出たのが「これはほとんどビョーキですね」というコメントであった。これはおおいにウケ、流行語となった。

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 レポーターとして名が知られるようになった山本を、「映画も撮らずに堕落した」と批判する向きもあったという。しかし当人にとって、風俗で働く女性たちから聞く話はどんな映画よりもドラマチックで、そのレポートの一つひとつが自分の作品だったと自負する(山本晋也『カントク記 焼とりと映画と寿司屋の二階の青春』双葉社)。

 昨年上梓された著書『風俗という病い』(幻冬舎新書)では、超高齢社会を迎えた日本の性の現状をレポートするほか、2014年、ふと思い立ち、アフリカ・マダガスカルへ医療支援に赴く作家の曽野綾子に同行したときのこともつづられている。当地での深刻な貧困の実態を伝える筆致はいつになく真面目だ。だが、レポートを次のようにまとめているのは、やはりカントクらしい。

「曽野さんには、マダガスカルなどの医療支援の話と共に、こっそりこう申し上げております。

『いつかその唇を奪ってみせますよ』

 肩書も年齢も関係ない。死ぬまで男であり、女なのです」