ジブリは孤塁を守る?
もうひとつ、大きな流れとして見えてきているのは、これは海外、国内を問わずですが、コンピュータで描く、いわゆるCGの分野に優れた若いスタッフが集まりつつある。
これは手描きのアニメーションを追求してきたジブリとしてはなかなか難しいところですが、宮崎吾朗監督がNHKBSプレミアムで初めてテレビアニメを作ったんです。『山賊の娘ローニャ』という作品ですが、これはすべてCG。ポリゴン・ピクチュアズという制作会社なのですが、ジブリでも一番上手いアニメーターが見学に行って、「みんな上手い」とショックを受けて帰ってきたんです。
つまり、今の若い描き手は生まれた時からファミコンがあった世代ですね。鉛筆よりもパソコンのキーボードのほうが慣れている。彼らにとって最も使いやすいツールはもはやコンピュータなんですね。『新世紀エヴァンゲリオン』を手がけた庵野(秀明監督)とも話したのですが、「手描きのアニメーションっていつまで行けるのかな」と聞くと、「五年? いや十年くらいは行けるでしょうか」という答えが返ってきました。つまり、絵を描くといえばコンピュータで、という世代に全部切り替わるのがその頃だろう、と。庵野ももうとっくにCG主体となったアニメの現場を想定して、準備を進めているわけです。僕自身は手描きにこだわりがありますよ。しかし、この趨勢は変わらないでしょう。
しかも、先に挙げたように、アジアの制作現場とも、彼らはネットワークで繋がっています。だから国際的な分業も瞬時にこなせる。
だから、ジブリ的な手描きアニメーションは伝統工芸として残っていくのだと思います。時代の流れの中で孤塁を守っていく(笑)。
面白いのは、吾朗監督の『ローニャ』は、すべてCG、それも3Dで立体的に作ったものを、あえてセル画にみせかけている。つまり平面的に見せているんです。その方が日本人には受け入れやすい、と彼は判断したんですね。
平面か3Dかというのは、これは単純に、画面の質感の好みなのですが、つきつめると、日米の文化の違いにまでたどり着くテーマではあります。アメリカ人はもともと3Dが好きだったんですね。というのは、そもそもアニメーションの初期から、まず人形でキャラクターを作って、それを平面の絵に写生する、という作業をやっていた。また、一度俳優たちに演じさせて、それを絵に置き換えるといった手法を取ったり。それに対して、日本は「漫画が動く」ものがアニメーションなんです。平面が動き出すから驚くわけで、平安時代の絵巻物にまで遡る、日本オリジナルのものでしょうね。
アジア全域で役割分担
さて、そうなると、日本のアニメづくりは今後、どうなっていくのか、という問題になります。
制作現場がどんどんアジアに移っていく、となると、「日本アニメは空洞化していく」という結論になりますが、それを空洞化というのは間違いではないか、というのが僕の考えなんですよ。
つまりアジア全域が、それぞれに役割を担って、一本の作品を作る時代が来た、と考えればいいのではないか。だから、日本の若者で自分は現場で絵が描きたいというのであれば、タイやマレーシアなどのスタジオの門を叩けばいいわけです。
実際、僕のところにもアジアから、これまでの日本での映画作りのノウハウを教えて欲しい、という要望が来ています。そうした日本の持つ経験知のようなものには、全アジア的にニーズがあるのだと思います。確かに日本は年を取った国ですが、逆に言えば、若者にない経験と知恵がある。
そういえば、宮さんに『ローニャ』の予告編を見せたんです。すると動きがどうとかブツブツ言っていたんですが、僕が「これ、3Dで作ったのをセル画にみせているんですよ」と言うと、顔色が変わって、「えっ、どうやって?」と即座に食いついてくる(笑)。引退なんて言っていますけど、まだ何かやりたいんだな、この人は、と思いましたね。