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イランでは政府の陰謀説が囁かれている

 ワールドカップの勝敗はあくまでスポーツの勝敗に過ぎず、もちろん民族の優劣を決めるものでもない。だが、ナショナリズムの強さゆえに、スポーツの勝敗だと割り切れない国も存在する。サッカーの伝統国や国際的に孤立した国、経済的に豊かではない国に、こうした例が多い。

 例えばアメリカがワールドカップで負けても、幸か不幸か胸を痛める国民は少ない。他に誇るべきものがいくらでもあるからだ。サッカーが国技ではないアメリカは、ワールドカップとナショナリズムがもっとも縁遠い国だろう。

 だがイランになると、そうはいかない。この世界から孤立した国に暮らす人々は、ワールドカップをスポーツの祭典というより、イランの強さや優秀さを喧伝し、確認する舞台だと捉えている。政治、経済では欧米の大国と対等に勝負することはできないが、武器を持たない十一人同士の戦いでなら、同じ舞台に立つことができ、勝つことができるかもしれないからだ。

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 イランにとって最大の勝利、それは九八年フランス大会のグループリーグでアメリカを一対〇で下した試合だろう。イランのテレビではいまでも頻繁に、このときの勝利の映像が流されている。荘厳な音楽が流れる中、肩を落とすアメリカ人を尻目に、イランの選手が国旗を広げてピッチを走り回る。その映像は、大河ドラマのクライマックスを見るかのようだ。この映像を見るたびにイラン人は誇りを覚え、「大悪魔」アメリカへの憎しみを新たにする。

 もっとも、この偉大な勝利は政治を司る宗教指導者たちに、一種の恐怖心をも植えつけたらしい。アメリカに勝った瞬間、イランは国中が収拾のつかない騒ぎとなり、警官は公務を放棄、女性も頭髪を覆うブルカを脱ぎ捨て、通りで踊り狂った。それは複数の人々が集まって、のど自慢をすることさえ禁じられたイランでは、起きてはならない事態だった。この騒ぎに乗じて、だれかが政府打倒を叫び出したら……。そのことを宗教指導者たちは恐れたのだ。

 四年後の日韓大会にイランの姿はなかった。彼らは予選で敗れていた。だがイラン人のほとんどは、予選敗退が騒乱の再現を危惧した政府の陰謀だと信じて疑っていない。

「(予選敗退が決まった)カタールとの試合は、あまりにも不自然なプレーが多かった。多くの選手がなぜか、歩くようにプレーしていた。これは政府が負けるように命じたからだ。そうとしか考えられない」

 こういう話を、私はテヘランで幾度となく聞かされた。イラン人にとってのサッカーは、政治と複雑に絡み合っているのだ。

 六月に開幕するブラジル大会で、二〇回目を迎えるワールドカップ。その初代王者であるウルグアイにも独特のナショナリズムが息づいている。彼らは自国開催した三〇年の第一回大会を制し、五〇年ブラジル大会でも優勝した。初代王者の称号と敵地でブラジルを破った奇跡的な勝利は、この国の人々にとって心の拠り所となっている。

 ウルグアイのユニフォームには、左胸のエンブレムの上に四つの星があしらわれている。これはワールドカップの優勝回数を意味する。実際には三〇年ウルグアイ大会と五〇年ブラジル大会の二回のはずだが、ウルグアイ人はなぜか、四回だと主張している。かつて私は、このことについて同国の重鎮記者に懇々と説明されたことがある。

「二回じゃない、四回だ。一九二〇年代、サッカー単独で世界選手権を開催する能力がなかったFIFA(国際サッカー連盟)は、オリンピックのサッカー競技をワールドカップだと認定していた。そのときのオリンピックで二度優勝した我々は、つまり四度世界一になっているのだ」

 彼はFIFAの公式資料を持ち出して、延々と主張した。

 ウルグアイではワールドカップの予選の大一番になると、スタジアムの応援席に「5つ目の星をつかめ」などと書かれた横断幕が張り巡らされる。これは優勝四回というのが国民の常識となっているからに他ならない。

 ウルグアイが世界を制した時代、サッカーはまだ世界中に普及していなかった。ところがやがて、日本やアメリカといった大国を含む多くの国が、真剣にサッカーに取り組むようになった。この激しい競争の中で、人口三四〇万の小国の代表チームが勝ち続けるのは至難の業。だが二〇一〇年南アフリカ大会で準決勝に進出したように、ウルグアイは強国であり続けている。それはこの国に生まれると「我々は初代王者だ」、「ブラジルでも優勝した」、「四度も頂点に立った」……「だから負けるはずがない!」という強烈なプライドが自然と芽生えることになるからだ。華麗さには欠けるが、ウルグアイ代表はとにかく勝負強いことで知られている。

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