岩波書店が「岩波文庫」を創刊したのは、いまから90年前のきょう、1927(昭和2)年7月10日のことだった。

 このころ、各出版社が1冊1円という廉価で「円本」と呼ばれる全集本を刊行し、ブームとなっていた。円本商法に対し、岩波書店創業者の岩波茂雄は批判的だったが、より安い価格で本を手に入れたいという人々のニーズには抗えなかった。そこで岩波はドイツの「レクラム文庫」から着想を得て、古今東西の古典・名著を100ページにつき20銭という価格、携帯しやすい小さな判型で提供することを思い立つ。創刊時の配本は『古事記』や『ソクラテスの弁明・クリトン』、夏目漱石『こゝろ』など22点を数えた。当初は、あまりの廉価で商売にならないと不買運動を起こす書店まで出たが、ふたを開ければ、大変な売れ行きとなる。

 なお、岩波文庫の判型は創刊当初、菊半裁(110×152ミリ)だったが、1941年に現行のA6判(105×148ミリ)に変更され、よりコンパクトになった。その携帯性の高さゆえ、戦時中には軍部によって、戦地の兵士たちに向けて文学書を中心に岩波文庫が大量に送られている。ある陸軍の元兵士は、兵営内に転がっていた表紙と冒頭の数ページがとれた岩波文庫版『こゝろ』に、それまで何度か読んだことがあるにもかかわらず、強烈な印象と感銘を受けたという。岩波文庫は、戦地にあって兵士たちの心をひととき慰めたのだ(信濃毎日新聞取材班『本の世紀 岩波書店と出版の100年』東洋出版)。

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 敗戦後、食べるものに事欠くなかでも、本を読みたいという欲求が人々から失われることはなかった。いまから70年前の1947年7月19日、岩波書店が『西田幾多郎全集』第1巻の初版7000部のうち250部を、東京・一ツ橋の同書店で売り出したときには、3日前から行列ができた。その数は発売日未明には200人におよんだという。混乱の時代にあって、少なからぬ人が自らの生きる指針を哲学書に求めたのである。

岩波書店創業者・岩波茂雄は、1946年戦後初の文化勲章を受賞した(右端が岩波氏) ©共同通信社