いまから60年前のきょう、1957(昭和32)年7月11日、将棋の第16期名人戦で大山康晴に挑戦した升田幸三が勝利し、名人位に就いた。升田はこのとき王将と九段(現在の竜王に相当)のタイトルも保持しており、将棋界初の三冠王となる。
1918(大正7)年生まれの升田は大山より5歳上で、同じ木見金治郎九段門下の兄弟子にあたる。だが、大山は升田に先んじて52年、当時の木村義雄名人を破り29歳で名人位に就任。このあと連続5期、名人位を保持したことから、56年には永世名人の資格も得ていた。一方、升田はその間、名人戦と王将戦で大山にそれぞれ2度挑戦するも敗退、54年晩秋には病気のため休場を余儀なくされる。
大山に遅れをとった升田だが、しかし55年10月、オール八段戦で久々に大山と対戦して連勝。さらに同年末から翌年1月にかけて行なわれた第5期王将戦では、大山からタイトルを奪取する。このとき升田は第1局から3連勝し、第4局では規定により香落(勝利者のほうが左香車を用いないで手合わせすること)で対戦して勝利した。名人に対し香車を引いて戦ったのは、あとにも先にも升田だけである。
勢いに乗った升田は、翌57年に王将位を防衛したのに続き、同年春の九段戦では元名人の塚田正夫から九段のタイトルをもぎ取る。しかし病み上がりで大勝負をあいついで切り抜け、大山との名人戦にのぞんだときには疲れ切っていた。そのせいで第5局までは自分を抑えに抑えることになる。それでも3勝2敗で迎えた第6局では、自分の棋風をいかんなく発揮、念願の名人位を得た。就位式で升田は、出席した各界の名士を前に「今日の栄誉は全国ファンの後援と、夫のわがままを許してくれた女房のおかげです」とあいさつした。
余談ながら、このころ升田が期待の若手として目をかけ、あれこれ指導したり世話したりしていたのが、先日、現役を引退した加藤一二三である。当時17歳だった加藤はこの年、七段となり、さらに翌58年には史上最年少の18歳で八段に昇格した。後年、42歳にして名人位を獲得した加藤に、升田は「あなたは激戦を勝ち抜いて名人になったのだから、最年長記録を達成できる」と言ったという(『ユリイカ』2017年7月号)。この“予言”を今年1月、加藤は77歳11日にして現実のものとしている。