「あの時の辛さ、悲しさ、寂しさは忘れない」
現在は打撃投手としてはもちろんスコアラーとしてもチームを支えている。試合中はスタンドからスコアをつけ、カメラをまわし選手とチームのために目を光らせる。そんな日々に充実感とやりがいを感じている。
「近鉄があったから今の自分はいます。あの一年、ベテランも若手も首脳陣も裏方もみんなで近鉄を守りたいという想いで野球をして、活動をした。そのみんなのまとまった強い力は今まで感じたことがないものでした。みんなで一緒にチームのために戦い尽くした一年はボクの最高の宝です。あの時の辛さ、悲しさ、寂しさは忘れないし、若い子にも伝えていきたいと思います」
プロ野球のために働ける日々。誰よりも所属チームと一緒に歩める日々の幸せを感じながら、働き、マリーンズのために尽くしている。そんな栗田がフフフと照れながら話をしてくれた。「みんなにそれは嘘だと言われるのですが、千葉に住んでいた子供の時、近鉄の帽子を被っていました。ファンだったわけではないのですが、あのマークが大好きだった。めちゃくちゃカッコいいじゃないですか。たった一年だったけど、子供の時に憧れたあの帽子を被れたのは嬉しかったなあ」
今でも一年間プレーをした近鉄バファローズのユニフォームは大切に保管をしている。そして時折、そのユニフォームを見る。すると、やっぱりあの一年が思い出される。濃く熱く、そして激しい一年だった。そして自分が近鉄戦士であることの誇りに満たされる。だから周囲から「近鉄、最後の選手」と言われるのは嬉しい。もう存在しない古巣への感謝の気持ちと懐かしい思い出を胸に今はマリーンズのために精一杯、自信をもって働く。
梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)
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