「謎の魚」を見ていて思い出した同僚との出会い
5月よりデビューをした千葉ロッテマリーンズの新キャラクターが話題となっている。日本国内だけではなく、アメリカのMLB.comや、英国のBBCでも紹介されたというから驚きである。さすがにそんなに話題になるとはこちらは思っていない。
ちなみにプロフィールはすべて「不明」。名前は現在のところ「謎の魚」。どこから来て、いったいなんの魚なのかすら発表をしていない(設定を作るのがめんどくさくなったという説もある)。そういう意味では史上もっともユルいキャラクターなのかもしれない。外見はチョウチンアンコウ。一説には東京湾に生息をしていた魚がZOZOマリンスタジアムにフラリと立ち寄り、そこから住み着いたと言われている(正史ではない)。
そんな魚を見ていると同僚の手嶌智広報と出会った時の事を思い出してしまう。04年秋のドラフト会議で社会人・新日本石油から自由枠で入団。なお、この年は松下電器から久保康友投手(現ベイスターズ)も自由枠で入団をしている。翌05年、鹿児島で行われた春季キャンプのブルペンで唸るようなストレートを投げ、私は思わず「新人王を獲れる逸材だ!」と叫んでしまったほどだ(ちなみに新人王は隣でマイペースに投げていた久保康友投手でした。スイマセン)。
私も05年にマリーンズに入団した事もあり事実上の同期。いろいろな話をした。その中でも忘れられないのが漁師をしているという彼の父の話である。それは自分を育ててくれた親への感謝の気持ちに満ちていた。今どきの若者が忘れがちな尊い思いをいつも胸に秘め、練習に明け暮れていた。そしてある時、自身のグラブを大事そうに見せてくれた。そこには高足ガニのシルエットが鮮やかに刺繍されていた。グラブに、いろいろなモノを刺繍することが流行っている時代だったが、手嶌のそれは異彩を放っていた。
「このカニはとても大きいんです。オヤジはそれを獲る漁師をしています。千葉県内で今、カニを獲る漁師は少ない。ボクの誇りですね。このグラブを見るとボクも頑張らないといけないと思う」
“海の男の息子である”というプライド
千葉県は富津の出身。父はいつも午前4時ぐらいに家を出て、金谷港から海に出る。網をいたるところに張り巡らし、長五郎丸と呼ばれる船に乗り、カニや魚を探す定置網漁業を営んでいた。父が仕事を休むのは強風の時ぐらい。毎朝、朝早く家を出る父の背中を見て育った。憧れだった。
「中学ぐらいまでは父の後を継ぎたいと思っていました。高校を卒業したら漁師になるつもりだった。でも親父に止められたのです。『オマエには無理だ。他の仕事を探せ』って」
時は流れて手嶌は自由枠を行使して千葉ロッテマリーンズに入団をした。誰もが憧れる職業。しかし、いつも彼の胸の中には海の男の息子であるというプライドが確かに存在していた。それを形にしたのがグラブ。この世界に飛び込んだ日から練習では、いつも使用してきた。苦しいこと、嫌なことがあっても、父がいつも闘っている荒波や強風と比べると、ちっぽけな事だと言い聞かせて戦った。
「活躍して親孝行をしたいですね。一軍で投げている姿を見せて恩返しがしたい」
いつもそういってグラウンドでは大粒の汗を流していた。漁師は休みなどない職業。それでも子供のころ、野球大会があると父はいつも顔を出してくれた。練習を一緒にした思い出はないがスタンドにその姿があったことだけはハッキリと覚えている。それが一番の思い出。そんな父に残念ながらプロ野球の世界で活躍する姿を見せることは出来なかった。
一軍ではルーキー時代の1試合に先発したのみ。先頭から2者連続3球三振を奪ったものの、3番小笠原道大(現ドラゴンズ二軍監督)に本塁打を打たるなど3回4失点KO。夢は破れた。09年オフに引退しチームスタッフに転身(10年は打撃投手。11年から広報兼務)。今はこの裏方としてマリーンズを支える仕事を誇りに思い、父に頑張っている姿を見せようと必死になっている。