鈴木杏樹の謝罪コメントに漂う“略奪婚”の気配
ロマンチックラブ・イデオロギーとは、「かけがえのない相手と永遠の愛を誓って法的に結びつき、その愛の結晶として子供を授かる」という流れを恋愛と結婚の本質だとする考え方です。性と愛と生殖は結婚を媒介として一体であるというこの考え方は、日本においては戦後に獲得した自由の象徴でもありました。いまも恋愛・結婚・家族の王道だと考える人が多い。
杏樹さんが2月6日に謝罪コメントを発表しましたが、それ以降、世間の風向きが変わりつつあります。その一因がコメントにあった《今年に入って、お相手から独り身になるつもりでいるというお話があり、お付き合いを意識するようになりました》という部分です。
「純粋な関係性」を求めた先に不倫があった、までなら仕方がないと擁護する人がいたとしても、その先に杏樹さんが”略奪婚”を想定していた可能性が見えてしまった。他人にとっての「かけがえのない相手」を奪い取るようなことは、ロマンチックラブ・イデオロギーを侵犯してしまいます。それは家族のあり方を揺るがす行いにほかならない。結果として、それまで擁護していた人も離れていってしまう一言だったと思います。
東出と杏樹には男女「逆転」現象が起きている
今回興味深いのは、男女の「逆転」現象が起きていることです。
これまで男性は不倫をしても「芸の肥やし」と批判されないことが多かった。杏さんのお父様でもある俳優の渡辺謙さんの不倫が報じられた際にも「世界の渡辺なんだから」と、世間の反応はかなりマイルドでした。むしろ不倫相手である一般女性への批判の方が厳しかった印象です。2016年に不倫が報じられたベッキーさんとゲスの極み乙女の川谷絵音さんにしても、ベッキーさんへの批判は川谷さんへのそれとは比べ物にならないほどに過熱していました。
女性は貞節であるべきという価値観からか、こと不倫となると女性が批判の的になることが多かった。しかし今回は男性の東出さんには激しいバッシングが相次いでいる一方で、女性の杏樹さんにはどこか共感するような声まで出ている。男女への風当たりが変わってきています。
これまで、お金を持っていて、社会的地位もある、子育てをしていない50代女性なんて認識もされていませんでした。しかし女性の社会進出が進んだ結果、あえていえば従来の意味で「男っぽい」女性も世の中にいるんだと認識されはじめました。そういう女性の存在に気づき、女性を男性と同様に自立した個人として捉え、「それだけお金も地位もあるなら歳をとってからも恋愛くらいするだろう」といった目で見るような人が出てきているのでしょう。
実際には50代女性の多くが、子育てやパートなどに奔走するお母さんです。「鈴木杏樹さんみたいな女性」は現在でも日本にごくわずかでしょう。しかし少なくない人が自分の抱えている何かを杏樹さんに投影して、一種のあこがれやモデルケースのように感じているように見えます。
逆に、これまで男性は「亭主元気で留守がいい」ともいわれ、家庭のことは妻に任せ、仕事にすべてを注ぎ込むことが望ましいとされてきました。しかしいまは「イクメン」であることを求められるようになってきている。ご存じの通り、それが果たされないと東出さんのように「父親のくせに不倫している暇があるなら家庭や子どもと向き合えよ」と強く批判されるのです。
社会はいま、徐々に変化しています。そのため不倫という現象ひとつとっても、受け止められ方に差が生まれているのだと思います。東出さんと杏樹さんの不倫報道への世間の反応の背景に目を向けると、社会の変化が見えてくるのかもしれません。