ラン(伊藤蘭)、スー(田中好子)、ミキ(藤村美樹)の3人組のアイドルグループ、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言したのは、いまから40年前のきょう、1977(昭和52)年7月17日に日比谷野外音楽堂で開催されたコンサート中のことだった。

 3人は、管理されたアイドルという自分たちの立場にしだいに疑問を抱くようになり、やがて解散の意志を固めた。同年6月には、所属事務所の渡辺プロダクション社長・渡辺晋にその旨を直接伝える。だが、渡辺はこれを認めず、両者は平行線をたどっていた。そこへ来て不意を突いての解散宣言に、事務所側は引き留める術を失うことになる。このあと、キャンディーズは、すでに渡辺プロをやめていた元マネージャーの大里洋吉を専属社外マネージャーに迎え、翌78年4月4日、後楽園球場でのファイナルコンサートで解散するにいたった(栗原裕一郎ほか『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』文春文庫)。

解散宣言の翌年4月4日、東京・後楽園球場で行われたサヨナラ公演には5万人が集まり、別れを惜しんだ ©共同通信社

 解散宣言のあった当日、20歳になった大竹しのぶは、自分より1~2歳上のキャンディーズの行動をどのようにとらえたのだろうか。その2年前に映画『青春の門』で女優デビューした大竹は、この年、宇野重吉演出の演劇版『青春の門』で初舞台を踏んでいた。同じ年、べつの舞台で共演した中村勘九郎(のちの18代目中村勘三郎)にデートに誘われたが、二人きりで会うのを躊躇して、結局友達を連れて行ったという(大竹しのぶ『私一人』幻冬舎)。

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大竹しのぶ ©文藝春秋

 そんな大竹も、23歳のとき、17歳上のTBSのディレクター服部晴治と出会い、関係を深めていく。交際報道が出たときの会見では、マネージャーなどの指示に従いその事実を否定するも、服部への思いが変わることはなかった。82年に結婚、3年後には一児を儲けた。

 じつは大竹は結婚の翌年、服部ががんであると宣告されていた。当初医者からは余命1年ほどと言われた服部だが、手術を受けて数年間は容態が安定し、大竹の主演ドラマも演出している。しかし87年3月に再入院。日に日に病状が悪化するなか、大竹の30歳の誕生日にはカルティエのペンダントを贈ったという。この日、87年7月17日、俳優の石原裕次郎が52歳で死去している。服部もまたこの1週間後、47歳の若さでこの世を去った。

 服部が再入院してまもなく、大竹は前年に出演した大ヒットドラマ『男女7人夏物語』の続編『男女7人秋物語』への出演依頼を受けていた。夫の病状を考えて一旦は辞退するも、当の夫から「絶対にやるべきだよ」と勧められ、出演を決心する。大竹が『夏物語』『秋物語』で共演した明石家さんまと再婚するのは、その1年後のことである。いまなお映画・演劇・ドラマで名演を見せている彼女は、きょう還暦を迎えた。