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「最期はヤクルトのユニフォームを着て旅立ちたい」

 今から思えば、ノムさんがスワローズのユニフォームに袖を通していた90年から98年までの9年間は実に至福の時期だった。実力も人気もある魅力的な選手たちが知将の下で、「ID」という武器を持って、規律と自由の両立という相反する組織を見事に作り上げ、黄金時代を築いたのだ。失って初めてわかる幸福な時間。

 あの頃の神宮球場は今のように連日満員が続いていたわけではなかったけれど、毎試合、一塁側ベンチには背番号《73》のノムさんの姿があった。あぁ、それがどれだけ幸福なことだったのか! どれだけ贅沢なことだったのか! あの頃、もっと感謝の思いを持って観戦すべきだった。今となっては遅いけれど、ついつい、そんなことを考えたくなる。失って初めてわかる存在の大きさ。

 今からちょうど1年前、2019年2月に出版されたノムさんの著作『平成プロ野球伝説の名勝負』(宝島社)の「おわりに」には、自身のプロ野球人生を振り返ったこんな一節がある。

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 南海が野球人生の始まりだが、追い出される形になり、嫌な思いもたくさんした。阪神の監督をやったことは大失敗。楽天も最後はいい終わり方ができなかったが、ヤクルトはいい思い出しかない。最期はやはりヤクルトのユニフォームを着て旅立ち、あの世から野球を見守りたい。

 この本の出版から数ヵ月後となる同年7月にはヤクルト球団50周年を記念したドリームゲームが行われ、ノムさんはヤクルトのユニフォームを着て自身初となる打席に立つことになる。期せずしてノムさんの希望が実現することとなった。

ドリームゲームでヤクルトのユニフォームを着て自身初となる打席に立った野村克也氏 ©時事通信社

 冒頭で述べた「92年、93年日本シリーズ」の物語は、ついにすべての取材を終え、ようやく、「さぁ、執筆を始めよう」という状況にある。残念ながら、ノムさんに作品を届けることはできなかったけれど、きちんとした作品を完成させることでノムさんへの恩返しとしたい。

 93年にヤクルトが日本一になった際の監督インタビューで、ノムさんは「感謝、感謝、感謝!」と語った。今度は僕らが、その言葉をノムさんに送りたい。感謝、感謝、感謝。野村克也さん、どうぞ安らかにお眠りください。本当にどうもありがとうございました。合掌――。

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